今年のテーマは「自然体」
そう出発した2010年も、8月を迎えました。
なんと言っても、今の時点で、今年の大きな収穫は、ツイッターでたくさん方たちと知り合い、たくさんの刺激をいただいたこと。
また、ツイッター上で、私が昔関わった仕事の関係者と出会ったり、普通だったら絶対会わないような方と出会ったり、、メールでもブログでも掲示板でもない、このツイッターのすごさに感動しています。
そして、一番感じたことは、価値観というのは人それぞれで、多種多様だなってことでした。
まさに、それぞれが「良いとこ取りの人生」を歩んでるって感じ。
同じ事象でも、人が見る角度によっては○に見えたり△に見えたりするわけで、私が「こうだ。これしかない!」と思い込んでいた解決策が、実はまったく違う見方をすることによって、もっと効率よく解決できたってことがたくさんあるんですよね。
こんなことは、会社や家庭でも多々あることですが、それが、ツイッターに限らずインターネットの世界で、時空を超えて、様々な人たちとつながっていくことによって、さらに多種多様な解決策やインスピレーションが与えられるのです。
こういう時にまさに自分の脳が拡張されていくのを感じます。(「ツイッター・Twitterってスゴイかも!」参照)
そんな中、ある時、ツイッター上で私のことを、ミスターストイックと呼ぶ人がいました。
あのイチロー選手がよくそう呼ばれていたので、悪い気はしませんでしたが、自分自身はまったくそんな気はなく、これが自然体だったので、「ほかの人にはそう見えるんだなー」って少し驚いたのを覚えています。
いずれにせよ、焦ったり、力んだり、構えたり、気合いが入りすぎるとスポーツにしろ、勉学にしろ、あまりうまくいった例(ためし)がなかったので、私自身としてはけっこうあっけらかんとしています。
つまり外からは頑張ってるように見えて、本人は意外とそうでもないってこともあるってことなんです。
『潜在意識が答えを知っている!』に面白い文章がありましたので引用してみます。
「創造的なアイディア」へのプロセスが、作家や芸術家や発明家といったいわゆる「創作家」の専売特許と考えるのは間違いである。料理人も、教師も、学生も、セールスパーソンも、起業家も、誰もが創作家だ。私たちはみな、同じ成功メカニズムをもっている。そのメカニズムは、小説を書いたり製品を開発したりするときとまったく同じように、個人的な問題を解決したり、事業を営んだり、商品を売ったりするときにも働く。
人間に備わっている成功メカニズムは、創造的なアイディアを生み出すのに有効であるように、創造的な活動に対しても効果を発揮する。スポーツはピアノ、会話、セールスなど、どんな技能であろうと、懸命に、意識的に、活動を工夫する必要はない。むしろ自然に、リラックスした状態であなた自身を活動させることなのだ。意図的・意識的になされるのではなく、その反対で自然に自動的になされる必要がある。
世界一の技能を持つピアニストでも、演奏中にどの指が、どの鍵盤を叩いたらいいかを意識して考えようとすると、簡単な曲さえも弾けなくなってしまう。ピアノを習いはじめの頃は意識して考えて弾いているのだが、練習するうちに、自動的に習慣のように指が動くようになる。
意識的な努力をやめ、ピアノを弾くという行為を、成功メカニズムの一部である習慣的な無意識のメカニズムに委ねられるいきに達したからこそ、偉大な演奏者になれたのである。
このような話を、次にあげる学習の四段階とともに、どこかで聞いた覚えがあるかもしれない。
一、無意識による不能
二、意識による不能
三、意識による可能
四、無意識による可能
「一」の段階では、自分が何を知らないのかもわかっていない。
「二」の段階に移ると、何が自分にとって難しいのかを痛感する。
「三」の段階でなんとかできるようになるが、まだ実行するのが大変で、意識的な思考や、ときには意思の力にも頼らなければならない。
やがて「四」の段階に達すると、難しかったことが自動的にできるようになる。これは、子どもが靴ひもの結び方を習得するにせよ、大人がコンピュータの操作を覚えるにせよ、あらゆる学習経験をかなり正確に表している。
自動車を運転する人はよくわかると思いますが、冷静に見てみると、手と足と耳と目で、ものすごい情報量を処理しながら運転しています。
これがいちいち意識してブレーキを踏めだとか、ハンドルを左に切れなんていうのを命令していたら、大変なことになります。
もちろん免許とりたての時は、そう簡単にはいきませんが、運転し慣れてくると、無意識のうちに手も足もそれぞれの役割をきちんと果たしながら、スムーズに処理してくれるようになります。
これは、まさに潜在意識の中にすり込まれているからです。
ですから、『習慣の奴隷になるか、習慣をしもべにするか』でも書きましたが、どれだけ良い習慣を潜在意識に植え付けるかということが重要になってきます。
自分が理想とする生活習慣があるとすれば、それを「四」の「無意識による可能」な段階まで持っていければ儲けもんです。
本書からもう少しつづきを引用してみます。
私たちは誰もが才能を持っていて、多くの場合、その才能は目覚め、解き放たれ、勢いづき、利用されるのを待っているのだ。現時点では才能があなたの自己イメージの一部になっていないかもしれないが、才能の真意とその働きをこのように広くとらえれば、ほどなくそうなると思う。
意識的な努力は、自動的な「創造のメカニズム」を邪魔してしまう。自意識過剰になり、マゴマゴしてしまうのは、なんとか正しいことをしようと気にしすぎ、間違った言動をしないかと不安になるからだ。そういう人は、自らの一挙一動を痛ましいほど意識しているものだ。
「すべての行動は考え抜かれた結果で、何を話すにしても、及ぼす影響を計算し尽くしている」と考える人のことを、抑圧的な性格の人という。だが、その人が抑圧されているという意味ではない。その人が、創造のメカニズムを「抑圧している」というのが正しい。
無理に頑張るのをやめて自然に任せ、自分の行動について気にしないようにすれば、創造的かつ自然に行動でき、本来の自分になれる。
よくスポーツの世界では、「負けないようにと思ってプレーしては勝てない」と言われるが、これは人生にも日常生活にも当てはまる。負けないようにとプレーすれば、ストレスを生み出し増幅させるだけだ。そうなるとミスを犯す可能性が増すばかりで、減ることはないのだ。
意識的に目標を設定し、計画を立て、進捗状況を把握するのは大事なことである。
ただ、そうした思考はその目的にふさわしい時と場所で行うほうがよい。それ以外の時は、いまこの瞬間に全神経を集中することによって、「明日を気にかけない」という習慣を、意識的に身につけてほしい。
あなたの「創造のメカニズム」は、明日働くわけではない。いまから1分後ですらない。たった今しか働かないのだ。明日の計画を立てるのはいい。ただし、明日や過去に生きようとしてはいけない。全神経を現在の状況に集中し、現在起きている現象の情報を「創造のメカニズム」に伝えることによって初めて、あなたの「創造のメカニズム」は現在の状況にうまく対応できるのだ。
このブログでもよくこの表現は使いますが、人生は一しずくの水ようなもので、雨粒として大地に落ちた「私」は、大河に流れ込み、やがては大海にたどりつくか、途中で水蒸気を経て雲になっていくか、あるいはどこかの湖あたりで留まるか、、です。
そんな観点からすれば、小宇宙と言われる人間も、雨粒のように大地に降り注いでは川となって、大海にたどりついた後、また蒸発して雲と化し、、というふうに、くるくる色んな人生を味わえるようになってるのかもしれませんね。
今を生きている「私」という存在は、宇宙から見てもかけがえのない存在だし、何らかの才能と目的を持っているはずだし、少なからずも、この世に影響を与えるために生まれてきたはずです。
その才能は、自意識過剰にならず、自然体+アルファくらいで、力まず、焦らずやっていればいつか解き放たれるに違いないと私は思っています。
ネガティブになることもありますよ、そりゃ。
何もかもがめんどくさくなり、ただボーッとしていたいときもあります。
にんげんだもの!(あいだみつを風に)
ミスターストイックと呼ばれた私が言うのもなんですが、ストイックになりすぎると神経をすり減らすばかりだです。
自動車のハンドルと同じで、遊びがなければ、ちょっとブレただけで大事故になりかねません。
そんなときは、一度川の流れに完全に身を任せてみるのも「あり」だと思っています。
あまり自分に負荷をかけすぎると、オーバーキャパシティになって、ツイッターのようにクジラさんが出てしまいます。
遠いところを見つめながら、おおらかな波長で、それでいて足もとはふらつかないように、今そこにあることに全神経を集中しながら生きていく、そんな人生を歩んでいきたいものですね。
sanageeさん、ワタシは良いとこ取りの人生という言葉に惹かれてブログを読ませていただいています。
力まずと感じると‥ストイックとはかけ離れているかなと違和感があります。
深い考えがあっての緩みというか‥そういうトコロに私は同感しています☆
わかりました☆さな爺さんと書くとストイックさを感じる!だから違和感があったのかもしれませんね♪
kaokoxさん、いつもありがとうございます。
よーく考えてみれば、やはり一つの夢に向かっているという点では、ストイックなのかもしれません。
おっしゃる通り、「深い考えがあっての緩み」のほうがしっくりいきますね。
いつも、示唆に富んだコメントやツイートに感謝しております。