自覚:人間にしかない能力


もうそろそろ梅雨明け宣言が出るころ。
ギラギラ太陽の海に繰り出したい季節がやって来ました。

さて、今から20年以上前の話ですが、
大学時代、専攻は経営学で、ゼミは組織論でした。
卒論のタイトルは、「企業組織解体心書」。

企業を一人の人間にたとえたら、社員は細胞一つひとつ。
血液がお金の流れで、脳と神経組織がが情報システム・・
そこに心が通って始めて組織として成り立つ。
理想的な組織形態は、一人間の体の仕組みを研究すれば導き出されるはず。。

当時はそんなことばかりを考えながら、経営学部にもかかわらず、医学書や心理学の本を読みあさったものです。

その当時から人間の心と体の仕組みにはとても興味がありました。

その後結婚し、子供が産まれ、仕事に打ち込む中で、ちょっと忘れかけていた人間にまたまた興味を持ち、真剣に色々考え始めたのが、2007年頃。

自分の名前から自身のミッションを悟ったのが、2009年5月。

このサナギ・ブログを始めたのが、2009年11月。

最近は更新も少ないですが、なんだかんだでもうすぐ3年になるこのブログ。
ボヤーッとしたイメージしかなかったのが、ブログでアウトプットすることによりどんどんまとまってきた感じです。

タイトルの「サナギ」の意味は、「人生哲学:サナギ(sanagi)の意味」でも投稿しましたが、サナギそのものの特徴と、「s・a・n・a・g・i」というスペルです。

地を這うイモムシが、サナギを経て、大空を自由に舞い飛ぶチョウに変態していくように、人間も自分自身を新しく生み変えることができるというコンセプトをアウトプットしたのが、サナギ(s・a・n・a・g・i)のフローです。

【自覚】s:self-awareness
【受容】a:acceptance
【習慣】n:new habits
【実行】a:action
【成長】g:growth
【自立】i:independence

半ばこじつけ的なところがあるかもですが、サナギのプロセスがそのまま「s・a・n・a・g・i」にすっぽり当てはまったときには、我ながらちょっと感動しました。

ま、それはそれとして、この6つのプロセスで最初に来るのが「自覚」。

「自覚」を辞書(大辞林)で引いてみると、
自分の置かれている位置・状態、また、自分の価値・能力などをはっきり知ること。

よく、
「自覚が足りない」とか、
「身の程を知る」
という言葉を聞きますよね。

まず、今の自分自身を知ることから全ては始まります。

ここで、愛読書『7つの習慣』から自覚に関する説明部分を引用してみます。

この本を読んでいる自分の姿を想像してみてほしい。自分の意識は部屋の一角にあり、本を読んでいる自分の姿が見える。まるで他人であるかのように自分自身を見ている。
次に自分の気持ちについて考えてみてほしい。今、どういう気持ちだろうか。何を感じているだろうか。今の気持ちをどういう言葉で表現できるだろうか。
次に、自分の今考えていることについて、思いをめぐらせてほしい。頭の中は活発な状態だろうか。この演習を行うことと、この演習の意味を考えることのどちらに、あなたは集中しているだろうか。

今あなたが行ったことは、人間にしかできないことである。動物たちにはこの能力がない。これは「自覚」といって、自分の考えそのものについて考える能力である。この能力があるからこそ人間は世界の万物を支配し、世代から世代へと有意義な進歩を遂げることができる。
この自覚という能力があるからこそ、自分の経験だけでなく他人の経験からも学ぶことができる。また、この能力を発揮することにより習慣をつくり、習慣を変えることもできるのだ。

 

自分自身を客観的に観察し、それを評価したりコントロールすることができるという能力は、考えてみればスゴイことですよね。
もしこれがないと、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
まさに本能のままに生きる動物となんら変わらない生き物になってしまいます。

動物の世界に善悪を考えるという思考システムはありません。
ライオンが、
「あのシマウマは美味そうだ!」
「あ、でも近くに子どもがいるじゃないか」
「あの母親シマウマを喰ってしまえばあの子どもたちはどうなるんだ」
「うーむ」
と悩み込んだりしません。

でも、人間にはあります。
それは自覚するという能力が与えられているからです。

自分が欲望のままにこの行動をとることによって、他の人に迷惑が及ぶ。
そう判断すると、自分の感情や行動自体をコントロールしようとします。
自分以外の環境や人に対して配慮をするという思いやりの心があるのです。

でも、それは成長していく過程で培われていくものです。

生まれたすぐの赤ちゃんは、自覚や善悪の概念がありません。
つまり動物と同じです。

お腹が空いてたまらないとき、母親の状況や顔色をうかがいながら、
「今日のお母さんは疲れているから泣くの止めようかな。。」
なんて考えながら泣くのを遠慮する赤ちゃんはいません。
もう本能と自己中の塊です。
そうでなければ生きていけないからです。

でも、少しずつ成長し、自我に目覚め、自覚するようになってくると、その動物的な自己中心の思いを抑えるようになってきます。
そこに社会が生まれ文化が生じてきます。

人間の成長は、まさに自己中心の心の克服と言っても過言ではないかも知れません。

だからといって、他人中心でもダメだし、仕事中心、お金中心でもいけません。

まさしく、
自覚(s:self-awareness)することによって軸を見出し、それを
受容(a:acceptance)し、その軸(=価値観)を中心として新しい
習慣(n:new habits)をプログラムし直し、
実行(a:action)による成功と学習を繰り返しながら
成長(g:growth)していくところに、
自立(i:independence)への道が開かれるのです。

とまあ、偉そうなことをまたまた書いてしまいましたが、
どうしても仕事中心になってしまったり、
他人の顔色をばかりをうかがって疲れてしまったり、
はたまた自分のことしか考えないわがままになってしまったりと、
私自身、このサナギのプロセスを踏みながら日々身もだえしている次第であります。

最後に、『自助論』で有名なサミュエル・スマイルズの詩を紹介したいと思います。

思いの種をまき、行動を刈り取り
行動の種をまいて習慣を刈り取る
習慣の種をまき、人格を刈り取り
人格の種をまいて人生を刈り取る

 

年齢的にも収穫の秋を迎えていく私自身、
正しく自覚し、自分の思いの種をまき、
そして素敵な人生を刈り取っていきたいなと。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。


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