魚屋時代の話

海に行きたーーーい!!

蝉の合唱が日増しに大きくなる、今日この頃。東京辺りでも30℃以上の日が続いており、海にでも行きたい気分です!

さて、またまたわたくし事で恐縮ですが・・・
暗黒浪人時代(「深呼吸ってすごく大事!」を参照)を経て、大学では経営学を専攻しました。
何しろ当時は、昼間は経営やビジネスの実践をしたかったので、夜間クラスのある横浜の大学を選びました。

その大学時代のさまざまな経験と学びが今の私の土台になっているなと感じています。

で、選択した職種はというと、魚屋でした。
大学での勉強もいいけど、ビジネス感覚だけではなく、手に職をつけておきたい!と考えたからです。

そこは、スーパーの中に鯛やヒラメ、ハマチやイカなどが泳ぐ大きな生けすがあり、お客様との対面販売形式で、とても活気にあふれたいい雰囲気のお店でした。

アジの開き

最初の頃は、三枚おろしどころか、魚の名前さえもよく知らない状態ですから、もちろんお客様の前に立つこともできず、バックヤードでただひたすらに自家製アジの開きを作り続ける日々が続きました。

朝から夕方まで、小さめの出刃包丁で、次から次へとアジを開いていくのですが、なぜか面白くて、1ヶ月くらいすると、1尾あたり5秒以内で開けるようになってました。

そうこうしているうちに、バックヤードからようやく表に出て、切り身売り場に立つようになりました。

お客さんの目の前で、畳半畳分くらいのまな板の上で、キングサーモンやブリ、カジキマグロ、生タラ、子持ちガレイ、、、常時20種類ほどの切り身を同じ重さで切りながら板にのせていきます。

その技術がまたなかなか簡単ではありませんでした。
特にブリなどは、背と腹、頭と尾ではまったく形が違うので、見栄え良く、しかも尾にいくほど少しずつ大きめに切るなど、まさに職人ワザが必要になります。

シャケの切り身

そこでは、切り身を切ったり、丸の魚をお客さんの要望通りに三枚おろしにしたり、塩焼き用、煮付け用、天ぷら用などに加工しながら、お客さんとの会話がとっても楽しかったのを覚えています。

その会話をはずませるためには、魚や料理に対する知識はもちろん、世間一般の出来事なども日頃から関心を持っておかなければなりません。
正直言って、経営学の難しい勉強より、魚や調理のほうが面白かったですね。
アンコウの吊るし切りなんかは、冬の名物で、お客さんも喜ぶし、その喜ぶ姿を見て私も楽しいしで、大学やめてこの道進もうかななんて思った時もあったくらいです。

さて、切り身を一通り覚えると、今度は刺身担当になり、鯛やハマチ、マグロ、アワビ、イカ、伊勢エビなど、あらゆる魚をお客さんの目の前で盛りつけていくのですが、はじめての時は緊張しました。

目の前で、ジーッと包丁さばきを見られると緊張して、震えたのを今でも思い出します。
お客さんは、「このお兄さん大丈夫かしらー??」っていう目で見るし、先輩が後ろでワーワー言うしで。。

一日のスケジュールとしては、7時頃までには仕込みのために店に入り、夕方5時頃になると、私は早々と仕事を終えて部屋に帰り、シャワーを浴びてから大学に行きました。
どんなにシャワーを浴びても、友達からよく「魚臭い」と言われましたが、今となってはいい思い出です。。
大学では疲れて寝てしまってたことも多々ありました。

刺身

その魚屋さんで学んだ事は、
お客さんをいかに喜ばせ、リピーターに育てるか、ということと、
いかに安く仕入れ、高く(適正価格の範囲で)売るか、
ということでした。

商売の基本中の基本の内容ですが、すべてが凝縮されているように思います。
当時はバブル絶頂期でしたので、高価な物でも、いい品であれば飛ぶように売れました。

例えば、本マグロの中トロなど、ほんの200gほどのパックが7000円とか、、

面白かったのは、1尾あたり20円で仕入れた生サンマをお造りにして680円で売ったときでした。
当時は、まだサンマを刺身で食べるという事が一般的でなかったので、お造りの手間がかかる分、出したらあっという間に品切れ状態。
100尾分のサンマのお造りを作ったときは腱鞘炎になるかと思いました。
それでも、お客さんもすごく喜んでたし、2,000円で仕入れた物が、手間をかけると68,000円になるのだから、商売人冥利に尽きるというものでした。

その店は規模で言うと小さなほうですが、日曜日ともなると、客層も、主婦よりちょっとステイタスのありそうな男性のほうが多く、駐車場はクラウンやベンツで埋まるくらい。売り上げも日曜日は500万を超えるときもありました。

魚、魚、魚、魚を食べるとー♪

なんと言っても、すさまじいのは年末大売り出し。
12月28日から31日までの4日間は、まさに戦場と化します。

早朝から、活きてる鯛とヒラメを200尾、5kgもののハマチを200尾、これをどんどんさばいてパック詰めしていきます。
マグロも冷凍物を電動ノコでさく取りし、店頭に。。

小さな店内は朝からお客さんでひしめき合って、大騒ぎ。
朝5時から仕込みをやって、夜8時の閉店にはもうヘトヘト。
食事をする暇もないので、おにぎりをほおばりながらお造りを作りまくりました。

で、その4日間の総売り上げは約1億。一日平均2,500万。多い日は3,000万を超えました。
今のデフレ時代では考えられない額です。

大学時代は私の人生の中でも内容の濃い、とっても充実した期間でした。
魚屋も3年目になると土日だけにして、平日はコンピュータ関連の会社に勤めました。

ま、この辺の話はまたの機会に譲るとして、独身の若い頃は無茶もできましたが、家庭を持ち、子どもができるとそう大きな冒険はできなくなりがちです。でも、気持ちはまだまだ青春時代(参照「心機一転:青春とは」)、もっともっと自分にとっても楽しく、家族を養え、そして世の中に貢献できるような、事に挑戦していきたいと思っている今日この頃です。

最後に『図解 世界一わかりやすいマーフィー「お金」と「幸せ」の法則』から引用してみます。

図解 世界一わかりやすいマーフィー「お金」と「幸せ」の法則

私たちは日常生活を営みながら、何千、何万もの名も知れぬ人たちの世話になっています。朝飲むコーヒーや牛乳を生産する人、電車、バスを運転する人、水や電気を供給してくれる人たちなど数えあげたら切りがありません。

私たちは数知れぬ他人のサービスによって生活しているのですから、私たちも第三者に何らかの恩返しをしなければなりません。こう決意することがポイントです。この決意こそ、私たちが生きていく立場を確立するものなのです。

そこで大切なのは、各自一人ひとりが喜んで実行できる行動を選び、その行動を拡張する方法を考えることです。

あなたの趣味、あなたの好きなことは何でしょう。紙と鉛筆を手に思いつくことをメモしてください。自分の考えを書きつける習慣を身につけるのです。あなたの遺伝子の中には、すでに生き甲斐となり得る興味の対象が組み込まれているのです。それが見つかれば、あなたは他の人たちに奉仕ができ、心から楽しい生活を送ることができるのです。

 

自分のやりたいことをやりながら、社会に貢献でき、しかもそれが収入に結びつく、というのが理想ですね。つまり、ライフワークが仕事になり、生活になるということ。
その理想を目指して焦らず、あわてず、あきらめず、歩んで行きたいなと思ってます。


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