連日30℃を越す日が続いていた東京ですが、今日は幾分涼しい感じ。
もうすぐ7月。
あと10日ほどで梅雨も明け、ギラギラ太陽の季節がやってくるでしょう。
季節を先取りした街の花屋さんでは、ビタミンカラーのヒマワリがジメジメした空に負けるなと元気と勇気与えてくれているようです。
さて、昨日は久々に早く帰ってきたので、徳島の中3長女とちょっとだけ長電話をしました。
昨日、今日と総体があり、今日で3年間やってきたバスケットボールの部活も最後だという話を聞き、そういえば、彼女のバスケットボールをする姿って見たことがないなぁと。
途中、突き指や首のねんざ、足首の疲労骨折、、
様々な経験をしながら体力もつき、精神力もついたことでしょう。
そんな会話の中、苦手な数学の話になり、人間の行動や脳の仕組みの話にまでおよびました。
「苦手」というのは、自分が勝手につくってしまっている思い込みで、それによって自分自身の脳にブレーキをかけてしまって、「数学」と聞くだけで習慣的にブロックしてしまうんだという話をすると、「へー」の連発。
特に、下述の行動と習慣の話をすると、妙に納得した様子でした。
人の行動には3種類ある。
①本能的な行動
突然イヌが飛び出してくると息を呑んで驚く、など
②習得し、プログラムされた行動
自動車の運転、歯磨き、など
③意図的にとられる行動
買い物に行く、読書をする、など
人の行動のうち、80%以上は②の「習得し、プログラムされた行動」だと言われています。(最近勉強したぞ^^b)
つまりそれは本能的な行動とは違い、自分がつくり出したメンタルなプログラムなので、書き換えることができるというのです。
感情(心の動き)と行動(体の動き)はリンクしているので、行動を変えることによって感情が変わるし、感情を変えることによって行動が変わってきます。
だから、娘にはまず、「数学は苦手」とか「数学は難しい」という言葉を使わない習慣をつけるように言いました。
テストなどで点数が悪くても、「難しかった」とか「60点しかとれなかった」と言うのではなく、「難しかったけど頑張った」「100点満点で60点分は解けた」というように、たとえネガティブな言葉を使ったとしても、最後はポジティブな言葉で締めくくってごらん、ってアドバイスをしてあげました。
「鉄は熱いうちに打て」
という言葉があります。
大辞泉を見ると、
精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに鍛えるべきである、というたとえ。
とありますが、
悪い習慣がついていない若いうちに、いい習慣を身につけておくのがよい。
という意味もあると思います。
他者への教育も自分自身の教育も、ポイントは、
いかにいい習慣をつけるか
これに尽きると思います。
また、
「継続は力なり」
とよくいわれます。
継続させるコツは「習慣」
これです。
ここで、「習慣」に関して、言い得て妙な表現をしている文章があるので、齋藤孝訳『君たちは、どう生きるか―スマイルズ『自助論』』から引用してみます。
<中略>
ロシアのある作家がこんなことを語っている。
「習慣は真珠の首飾りである。結び目をほどけば、ことごとく抜け落ちてしまう」
習慣は、つくりはじめが肝心で、最新の注意を払って築いていかなければならない。油断をすると努力が簡単に水の泡になってしまうというのである。
これほど巧みに習慣の本質を言い当てた言葉はないだろう。
人間は、どんなところにいても必ず自分で習慣をつくり出す動物である。油断すれば、すぐに悪い習慣が身についてしまう。これを改め、いい習慣を身につけようと思ったら、悪い習慣の力がいかに強いかを自覚しなければならない。気を緩めて一度でも悪い習慣に戻し、もう一度それを繰り返したら、身体はすぐにその楽なほうを選ぶようになる。そして悪い習慣を改められなくなってしまう。
また、いい習慣が身につきはじめたと思っても、はじめのうちはその力は蜘蛛の糸のように弱い。ただし、それが本当に身体にしみつき、癖のようになってしまうと、鉄の鎖のように強いものになる。
といっても、ひとつの習慣を身につけただけで長い人生を乗り越えていくのは心細い。いくつものいい習慣を身につけなければ力にならない。ひとひらの雪は音もなく落ちていくが、山に積もれば、雪崩となって村もつぶしてしまうほどの力を持つのと同じである。
自尊心を持つこと、自助の精神、勤勉、誠実……これらはすべて習慣である。いい習慣である。そのいい習慣を集めたものが品性となる。その力はひとひらの雪のようにか弱いものではない。雪崩のような大きな力を持っている。
前回の投稿「成長:人生は修行の場?」で「どうせ生きるんだったら、修行のような人生ではなく、明るく楽しく行きたいものだ」と書きました。
ここで、楽しく生きることと、楽しいことばかり選んで生きることととは、意味が全く違ってきます。
嫌なこと、苦手なことを避けてばかりいると、怠け者になってしまいます。
怠け者は、悪い習慣の塊。
サナギのフロー「s・a・n・a・g・i」の中でも、想像(Imagination)から創造(Creation)に移っていくときに、もっとも重要なのが「習慣」です。
想像(Imagination)
私自身を知ること 【自覚】s:self-awareness
私自身を受け入れること【受容】a:acceptance
私自身を変えること 【習慣】n:new habits
創造(Creation)
私自身を動かすこと 【実行】a:action
私自身を生かすこと 【成長】g:growth
私自身を解き放つこと 【自立】i:independence
第二の天性「習慣」。
これを書き換えることができるのは、親でも上司でも師匠でもなく、私自身なのです。
と、またまた自分に言い聞かせる、日曜日の朝でした。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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例えば、結婚生活に入るとき‥私には覚悟があったと思います。長女という立場を重んじる覚悟。
そこを選択した瞬間、行動が感情を変えて行った‥と今気づいています。
でも、行動で本能を押さえることはとっても不自然。本能的に左手を使う方が自然なのに‥頭で右手を使わなきゃとスイッチ入れ替えて右手を使う習慣‥これは、いつか不自然さに気づくことがあったり。。
だから、自分を知る、受け入れられないことのある自分を受け入れること、そして生き抜く手段として習慣を築くことが自分らしく生きることなのだと‥今思っています。
かおるさん、行動と感情ってリンクしてますよね。
ただ、おっしゃる通り、本能やアイデンティティの部分まで踏み込んで、そこを変えることはできませんよね。
そこが私の軸の軸、つまり骨ですから。
その周りに肉のように巻きつくのがプログラムされた行動=習慣。
肉が骨を守り、骨が肉を守る。
なんかそんな感じですよね。
いい習慣を身につけながら、女性ならば綺麗に、男性ならば男らしく、生きていきたいものです。
「心・技・体」バランスよく。
今日も深〜いコメント、ありがとうございました。