明日死ぬかも知れないと考えてみる

田舎での正月休みを終えて東京へ戻ってきたのが、今から5日前の1月4日。
翌日の5日の朝。のどの痛みとともに目覚めました。
今現在でもまだイガイガ状態ですが、ここへ来てやっと落ち着きつつあります。
考えてみれば、肘の手術をした去年の12月1日の朝も扁桃腺が腫れました。

扁桃腺といえば、昔から、年に1、2度くらいは腫れて高熱を出して寝込んでました。
特に体が弱かったわけではないのですが、風邪や扁桃腺で体調を崩すと3日間ほどはぼろぼろになるというのが常でした。

でも、これじゃぁイカン!と思い、食事と運動による体質改善を始めたのが、単身赴任生活を始めた2000年12月。

食事は、朝はフルーツを中心に、夜も脂っこいものをなるべく控えるようにしました。

運動に関しては、それまで、ジョギングや自宅でのトレーニングには何回も挑戦しましたが、私の場合、続いた試しがなかったので、敢えて自分に投資することによって、自分にプレッシャーをかける意味で、ジム通いを始めたのです。

トレッキングマシーンでたっぷりの汗をかきながら心肺機能を高め、筋トレで重量アップ。
もともとやせ形だった私は、これで10kgは体重が増えました。
えっ!もちろん増えたのは脂肪じゃないですよ。

この私なりの食事と運動による体質改善プログラムは、とてもいい効果をもたらしてくれました。

①短時間でも夜ぐっすり眠れる。
②食事がとても美味しく食べられる。
③集中力が増した。
④ここぞというときに踏ん張れる。
⑤精神的に自信がついた。

12月の手術の時も今回も、高熱が出ることはなく、仕事にも支障なく生活できているのは、こうした体質改善によることが大きいなと感じています。

そういえば、昨年、Twitterを通して出会ったある獣医師の方から一冊の本をいただきました。
その書籍のタイトルが、『死ぬときに後悔すること25』(大津秀一著)

1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた書籍です。

「はじめに」から少し引用してみます。


人間は後悔とは不可分の生き物である。
現実問題、私が見届けてきた患者さんたちは、大なり小なり何らかの「やり残したこと」を抱えていた。だから皆、程度の差こそあれ、後悔はしていた。

けれども、その後悔の程度には大きな違いがあった。単純な話だが、明日死ぬかも知れないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかも知れないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間である。一期一会を思う人間である。

 

この書籍の最初に紹介されている「死ぬときに後悔すること」が、
「健康を大切にしなかったこと」です。

去年の手術や、今回の体調不良。
私にとって、こんなことも無駄なことではなかったと思っています。

人は、健康を害したときにこそ、健康の大切さを身に染みて感じるものです。

いつもいつも「明日死ぬかも知れない」と思いながら生活するのはちょっと大変ですが、悔いのない人生を送るためには、健康であることは大前提だなと痛感した次第です。

食事と運動、
心の状態、
そして人間関係。

こんなことを考えると、やりたいことがてんこ盛りです。
限られた時間、大きな石から詰め込んでいきたいですね。

心身ともに健康であるために、人との出会いを大事にしながら、私の体(生きていくための器)を労り、鍛え、今というこの瞬間を大切に、生きていきたいなと思う日曜日の朝でした。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ  ポチッと!


2 thoughts on “明日死ぬかも知れないと考えてみる

  1. お兄ちゃん。コメントではひさしぶり。 この本、私も読みました。 患者さんから教えられたことが沢山つまっていました。
    まず最初に、健康のことを後悔する。 ほんとうに、その通りです。 出来る限りのことをして治ろうと必死になる前に
    なぜ日々の生活の中で身体を大切にしなかったのか、と。 心と身体はいちばんの贈り物だものね。 大切にしようね。

    1. fuuちゃん、コメントありがとう。
      本当にその通りだね。
      やはり習慣が一番大事だと思う。生活習慣病って言うくらいだもんね。
      良い習慣を身につけながら心と身体を大切にしたいよね。
      fuuちゃんも仕事忙しいと思うけど、無理しないようにしてください!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です