田舎から東京へ単身赴任中の私は、だいたい月に一度田舎に帰っています。
普段は、東京から朝と夜、毎日自宅に電話をします。
いわゆるただ友ってやつで、どんなにかけても無料です。
そして、子どもたちに順番に代わります。
でもやっぱり、通話だけではなく、スキンシップや面と向かってのコミュニケーションに勝るものはありません。
なので、帰ったときはとことん家族とコミュニケーションをします。
今日は長女と、明日は次男と、って感じで、意図的に二人だけの時間をつくってみたりすることもあります。
今回はまず、私の両親とたくさんのコミュニケーションをとりました。
私の父は、今まで脳梗塞で2回倒れており、さらに18年ほど前には、完全房室ブロックという心臓病でペースメーカーを入れました。
今回、ペースメーカーと心臓を定期検診をしたら、心房がただ微動するだけで、力強く脈打ってないということがわかったのです。
それで、父に付き添って母と三人で病院に行き、はじめて主治医の先生の説明も詳しく聞きました。
結論としては、薬を増やすということなのですが、その病院の行き帰りや待ち時間に、今までになくたくさんの話をすることができました。
次の日は、中二になる長女とのコミュニケーション。
彼女は年頃ということもあり、普段の電話ではけっこう素っ気なく、「うん」「いや」「別に」って感じですが、今回はちょうど総体があり、その送り迎えの車の中や、買い物しながら、私自身の中高時代のこと、娘の将来のことなどたくさん会話することができました。
さらに夜には、パソコンを使いながら、グーグルの使い方や、インターネットの光と影の話など、たくさんコミュニケーションとることができました。
今回は、妻や次女、長男、次男ともじっくり会話することができた、いい帰省のひとときでした。
このコミュニケーションが大事なのは、家庭に限らず、職場やコミュニティ、スポーツ、隣近所もまったく同じです。
職場などでは、もちろん私語は慎まないといけない環境はあるとは思いますが、普段からの社員同士のコミュニケーションは職場の風通しを良くし、連帯感が生まれます。
職場にしてもスポーツにしても、上司と部下、監督と選手の関係だけではなく、横のつながりが強固な職場やチームは活気に満ちあふれています。
その大前提として、目的意識の統一があります。
複数の人間関係の中で、うまくいかないときは、目的意識のずれとコミュニケーション不足に起因することが多々あります。
もし、コミュニケーションだけだと、仲良しごっこで終わる可能性もあるかもしれませんが、目的意識の統一がなされた上で、活発なコミュニケーションが行われると、すごいパワーを発揮するようになります。
西に向かおうとしているバスに、東に行きたい人が乗ると問題が起きるのは当然です。
文系の大学を目指すクラスに医学部を志願する生徒がいるのは問題です。
今回、ワールドカップで日本が大活躍していますが、テストマッチで4連敗したあと、さぞかしチームの目的意識が飛躍的に高まったことでしょう。監督を初めとして選手まで一丸となって、「勝つ」という意識、「ベスト4」という目標が強固に認識された結果としての今の成績であることは間違いないと思います。
実は、人体においても同じことが言えます。
細胞同士も、それぞれがコミュニケーションをとりながら、「生きる」という目的のために一丸となって頑張ってくれているわけです。
そんな中、細胞同士のコミュニケーションがうまくいってなければ、正常な細胞がガン細胞になったとしても、隣の細胞は気づかないかもしれません。
気づかなければ、免疫細胞への通達もうまく行われず、ガン細胞は放置されます。
そうなると、ガン細胞はその場でどんどん細胞分裂を繰り返し、腫瘍となって母体をどんどんむしばんでいくようになります。
人間社会にも同じ現象がありますよね。
コミュニケーションが活発な家庭、職場、スポーツチーム、コミュニティはガン細胞が生まれにくいに違いありません。
ミクロな世界から宇宙まで同じ法則で貫かれているのがこの大宇宙。
でも、目的意識を持つこと、コミュニケーションをすることの以前にもっと重要なことがあります。
それは「愛」です。
家族やパートナー、職場、コミュニティ、、
さまざまな人間関係の中で、その動機に「愛」がなければ、ただのシステムや機械(マシーン)です。
あのアーノルド・シュワルツネッガーが演じた人造人間「ターミネーター」さえも、「愛」がジョン・コナーの命を守ったのです。(余談)
義務でも犠牲でもない、能動的、主体的な「愛」が私たちの心を、そして体を動かす原動力となっており、そこから織りなされる人と人とのコミュニケーションこそが、家族を変え、職場を変え、社会を、世界を変えていくと信じてやまない今日この頃。
「愛」なんて、私なんぞが話すには、少しばかり恥ずかしいテーマですが、今回はそんなことをふと思ったものですから、勇気を出してブログにしてみました。