あじさいの花が緑から青、そして紫へと移り変わりゆく季節ですね。
今日は我が家の次女の誕生日。
当時は貿易商社に勤めてた頃で、その日は、中国出張の同僚を成田空港まで送っていく車中で妻から携帯に電話が入ったのをよく覚えています。
当日の朝、出勤するまではなんともなかった妻が、買い物に行って帰る途中に破水して、帰ってきて食事してから病院に歩いて行ったそうです。
そのあと、陣痛が始まって、あっという間の出産だったとのこと。
仕事を終えて、病院に直行したら、すでに妻の隣に次女が寝てました。
女は強し!と感じた日でもありました。
その頃はまだ単身赴任ではなく、東京で家族一緒に暮らしていました。
当時、仕事があまりにも忙しく、月の半分は海外出張、日本にいてもけっこう海外からの客の接待やら送迎やらで、体調も相当崩していたときでした。
微熱が何ヶ月も続いたり、咳が止まらなかったりで、医者からは自律神経失調症の一歩手前だと言われていました。
そんな中での次女の誕生だったので、
父親としてもっと家族のためにも健康にならなければ!と、決意を固めたのを昨日のことのように思い出します。
その次女も今日で11歳。
家の手伝いをしたり、下の弟二人の面倒をよく見てくれています。
今のところ彼女の将来の夢は、シェフかパティシエ。
親としてできることは全面的に応援してあげようと思っています。
私自身は、次女が生まれて一年半ほどして単身赴任生活をスタートしているので、ほとんど家族のそばにいない生活が続いていますが、父親としての役目を果たしているか!と問われたときに、私は自信を持って「果たしている」と言うことができるよう、頑張っているつもりですし、妻も認めてくれています。
その次女が5歳の頃、年末年始にかけてアレルギー性紫斑病(シェーンライン・ヘノッホ症候群)で入院したときは、その苦しそうな姿に、できることなら変わってやりたいと男泣きしたのを覚えています。
ちょうど、年末年始で帰省していたので、病院に泊まり込みで看病してやりました。
またそういうときにこそ、親子の愛情は深まるものですね。
「親という存在」でも書きましたが、親は子どもの成長のステップ台となり、肥料となることだと考えています。それは「犠牲」とかではなく、「愛」ですね。
たとえ離れていても、親子のコミュニケーションは電話でとれるし、月に一度帰ったときにたくさんのスキンシップと会話をするよう心がけています。子供たちにとっても、それが自然になっているようです。
以前の投稿「今日あった良いこと!息子との会話」や「子育ては寝際が肝心」でも紹介した、夜、うちに電話するときに子どもに尋ねる質問があります。
「今日何か良いことあった?」
この質問に一番熱心に答えてくれるのが次女です。
新しい担任の先生、すごく優しいよ!
逆上がりができるようになったよ!
すごく可愛い教育実習の先生が来たんだよ!
メダカに赤ちゃんが生まれたよ!
今日の何か良いことあった?の質問の答えは、
もう訊かずともわかっています。
今日は一緒に祝うことはできませんが、子どもの誕生日にニンマリとしながらも、密かに決意を固める父でした。