先回の投稿で韓国留学のことに少し触れましたが、そのきっかけを作ってくれたのは叔父(父の弟)です。
叔父は、今から36年前に製薬会社の招聘で韓国に渡りました。
今でこそ、韓流ドラマや格安航空チケットでとても身近な国となっていますが、当時は近くて遠い国でした。
その後現地の人と結婚し、3人の子どもにも恵まれ、とっても幸せに暮らしていたのですが、その叔父が、昨年11月10日、心筋梗塞で急逝したのです。
このブログを始めて4日後のことでした。
私は叔父を心から尊敬しており、その生き様や人生哲学は私に大きな影響を与えました。
特に留学していた一年間は、叔父から直にたくさんのことを学ぶ期間となりました。
とっても意志が強く、誰からも尊敬され、しかも健康体で、韓国人からもとても愛されていました。
その叔父が何の前触れもなく、、
身近な人の死は、色々なことを考えさせてくれます。
「「どう生きたか!」ということ」は、その時の心情を綴ったものです。
叔父は生前から韓国を愛し、韓国に骨を埋める覚悟だと父に言っていたそうです。
その叔父がたまたま出張で来ていた大阪で帰らぬ人となったのです。
父と私と東京に留学(帰国子女)していた叔父の娘(従姉妹)は、すぐさま大阪に駆けつけました。
「韓国に骨を埋める」という叔父の遺志を尊重し、遺体を韓国に運ぶ手続きをしようとしたのですが、日本国籍の日本人の遺体を火葬せずに韓国に運んだ前例がないということで、本当に苦労しました。
第一の問題は、韓国は今でも埋葬が常識で、大阪の役所に行って、埋葬許可証を出してもらおうとしたら、火葬でないとダメだというのです。結局、書類の「火」を「埋」に訂正してもらい、なんとかなりました。(なんとかなるもんなんですね!)
韓国領事館でもさまざまな書類が必要で、警察署や役所、病院、葬儀屋、その他をかけずり回って、全ての準備を整えて、やっと韓国に運んだのが昨日のように思い浮かんできます。
葬儀、埋葬を終え、当時中学三年の末っ子(従兄弟)が埋葬された自分の亡父に向かって言った言葉が今でも忘れられません。
「お父さんは思ったより早く逝ってしまったけど、この地上でやるべきことを全てやったから逝ったんだよね。尊敬してやまないお父さんにまだまだ訊きたいことはいっぱいあったけど、今まで僕たちに教えてくれたことを胸に生きていくので、安心して永遠の眠りについてください」
それまでは父も私も一滴も涙を見せないつもりでしたが、この時ばかりは嗚咽しました。
私自身、まだまだ生きるつもりではありますが、まだ見ぬ将来のことはわかりません。
一日一日を、今この瞬間を、大切に生きたいなと思う次第です。
少し早いけど、今日は親族や縁のある友人と一緒に、旅行も兼ねて叔父の一周忌で韓国に行ってきます。
叔父は争い事がとても嫌いな人でした。
人を評価したり、陰口を叩いたりしたことをきいたことがありませんでした。
世界中の人が平和で幸福に満ちることを心から願っていた人でした。
その意志は子どもたちや甥である私が受け継いでいきます。
今回はその確認のための自問自答の旅でもあります。
最後に「「どう生きたか!」ということ」でも紹介した『7つの習慣』の言葉を引用します。
愛する人の葬儀に参列する場面を心の中に思い描いてほしい。あなたは、会場に向かって車を走らせ、駐車して、車から降りる。そして、会場に入ると、花が飾ってあり、あなたは静寂な雰囲気に包まれる。その場に集まっている人々からは、別れの悲しみがにじみ出ているのと同時に、故人と知り合いになれた喜びが感じられる。
あなたは、会場の前の方に進み、そこに飾ってある写真を見る。すると、なんとそこにはあなた自身の顔が飾られている。これは、今日から三年後に執り行なわれるあなた自身の葬儀なのだ。集まっている人々はあなたに対する尊敬、愛、感謝の意を表わしに来ているのである。あなたは、席に着き、式次第を見る。四人の人が弔辞を述べることになっている。最初に家族や親戚の代表として、全国から集まっている子供、兄弟、両親、祖父母、おじ・おば、いとこなどの内からひとり。次は友人のひとりで、あなたの人柄をよく知っている人。三番目は仕事関係の人で、四番目はコミュニティー、自治会、サークルなど、あなたが奉仕活動を行ってきたところからのひとりである。
ここで深く考えてみてほしい。集まってくれたそれぞれの人たちから、あなたの人生について、何と言ってほしいだろうか。彼らの言葉をもって、あなたはどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいのか。どういう息子、娘、いとこだったのか。どういう友達だったのか。どういう仕事の同僚だったと言ってほしいのだろうか。
あなたは、皆に自分の人格のどういうところを見てほしかったのか。どういう貢献や業績を覚えていてほしいのか。その場に集まっている人、それぞれの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生にあなたはどういう影響を及ぼしたかったのだろうか。
今回はしんみりなお話になってしまいました。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
「どう生きたか」或は「どう生きたいか」。
普段はそれほど意識していない「死」を目の前にすると、
否応無く考えさせられます。
まして、それが最愛の人であるならば、なおのこと…。
さな爺が尊敬する叔父さまは、
何故韓国を愛し、韓国に骨を埋めようと思われたのでしょうか?
さな爺は、彼のどんな思想や行動を尊敬していたのでしょうか?
機会があれば、それを聞いてみたいと思いました。
わたしは自分が死んだ時、お葬式はいらないと考えているので、
参列する人々が自分の事をどう思うのかをイメージすることはできませんが、
自分がどう生きたいかという事はずっと考え続けています。
そして、それは年を重ねるごとに変化しています。
グラフィックデザイナーになって、広告業界に入った頃は、
デザインの力で世の中を変えてやろうくらいに意気込んでいました。
仕事を続けていく内に、女性が家庭を持ち子供を育てながら、
さらに自分の夢を叶えていくむつかしさをいやという程味わって、
偏見や障害を取り除いていく闘いに明け暮れました。
これはご存知のように今も継続中です。
子供を持つと子供を通じた世界も広がります。
ママ&パパ友、PTA、地域のコミュニティとのつながり、
自分自身の両親や夫の家族とのつきあい…などなど
ここでも自分の価値観と他の人々の価値観の違いに
折り合いをつけながら、
子供のためにベストな環境を作る事を最優先にして
できる限りやってみました。
それらを経験してみて、今思うこと。
関わり合いを持つ人々みんなが幸せで、平和に暮らすことは理想ですが、
それは、簡単なことではない。
それを最終目的に置いて、
まずは自分を中心に身近な所から固めていく。
当たり前だけど、日常生活で中々出来ていないこと
例えば、身体にいい食べ物を料理して毎日をていねいに暮らすとか、
子供の話しをきちんと聞いて、学校の教育にも関心を持ち、
行事に参加して、意見を言うとか、夫婦で会話して相手を思いやるとか…を
ひとつひとつクリアして行こうと。
自分と自分の家族が幸せを感じながら、
いきいきとしていなければ、
誰かに影響を与えることもできないし、
ましてや、他人を幸せにすることはできないと思うから。
小さな事からクリアして、より大きな問題へ。
まず「隗より始めよ」の精神で。
それから、口当たりのよい抽象的な言葉ではなく、
誰にでも理解できるような言葉で、具体的に夢を語ること。
そして、行動すること。
それが大事ではないかと思っています。
よく言われることですが、
本当に世の中のためになること、ひとが喜ぶことを提供するならば、
その夢はかなうし、成功する。
自分の能力を活かしきり、自分自身が幸せを感じられ充実していて
それが他人の幸せためになるような生き方。
そういう生き方が、がわたしが今思う、どう生きたいか…です。
さな爺もそう思うよね?
このブログをはじめとして
もっともっと多くの事を具体的に語ってほしいし、
行動してほしいと思います。
いつも応援しているからね。
Junkoさん、今回も心のこもったコメント、ありがとうございます。
Junkoさんのコメントは、いつも深く深ーく考えるきっかけを作ってくれます。
今回コメントしていただいた一つひとつのテーマに関しても、いちいちうなずきながら読みました。
文章でお返しするより、会話の中で発展し、深まっていくようなテーマばかりですね。
また、そういう機会が持てればと思います。
>小さな事からクリアして、より大きな問題へ。
>まず「隗より始めよ」の精神で。
というところは特に共感します。
私の叔父がまさにそういう生き方をした人でした。
と、同時に日本と韓国、さらに中国まで含めて、仕事を通じて国家レベルでもたくさんの貢献をした人でもあります。
私もそういう叔父の姿を見ながら、小さなこと、身近な人から幸せにしながらも、志を大きく持っていたいというスタンスで歩んで行きたいと思ったのです。
だから、単身赴任はしていますが、田舎のコミュニティはとっても大切にしていますし、家族は第一です。
毎日のように朝晩田舎に電話をするのも、家庭が幸せの最小単位だと思っているからです。
>自分の能力を活かしきり、自分自身が幸せを感じられ充実していて
>それが他人の幸せためになるような生き方。
>そういう生き方が、がわたしが今思う、どう生きたいか…です。
これはこのまま同意します。
今年の2月に理想的な仕事の定義という題でつぶやいたことがあります。
(1)自分自身が楽しくて
(2)家族を豊かにできて
(3)社会(世界)のためになる
という内容でした。
これが私の基本姿勢です。
この順番がそのまま優先順位ですが、これ自体、そう簡単なことではないことはJunkoさんもよくおわかりだと思います。
私もこの3つの理想的なバランスを求めて日々Struggleしているって感じです。
家族や愛する身近な人を幸せにするためには私自身が幸せを感じながら生きているべきですよね。
Junkoさんの
>グラフィックデザイナーになって、広告業界に入った頃は、
>デザインの力で世の中を変えてやろうくらいに意気込んでいました。
この辺の当時の思いやそのあと継続中の「闘い」のお話もたくさんお聞きしてみたいです。
最後の「いつも応援しているからね」には感激しました。
今後とも、忌憚のないコメントをよろしくお願いします。
お兄ちゃん。
私は、どう生きるのか、ということよりも
どう死ぬのか、ということを最近考えていました。
お仕事で向かい合うことが多いからだと思います。
生きることの先には希望と死があって
死ぬことの先には…。
死ぬことが怖いのは
きっと、自分の最期に自分で幕引きができないからなのでしょう。
その情けなさが恐怖になるのだと思います。
けれど、どう死ぬかと思っているうちは
確かに生きている。
だから、どう生きるかを考えるしかないんだね。
最後の最後まで。
だけど、どう死を迎えるかも考える。
そしたら、生き方も見えてくるね。
お兄ちゃん達が叔父さまの意志を尊重しようと
一生懸命に整えてくれたこと
叔父さまはきっと喜んでいらっしゃいますね。
故人の意志はずっと生き続ける。
私は何度もそれを感じたことがあります。
生前受け入れられなかったお父さんの意志を
息子さんの瞳に見たこともあります。
これは死の力なのかもしれません。
また、あるときは
できるだけの希望を叶えてあげたいと
職場のスタッフで頑張ったあとに
「信じていました。ありがとう。」というお手紙が
ベッドの下に隠されていたのを見つけたときもありました。
最後まで信じていてくれたのだと
その人の生きていた思いを感じました。
現実があるから思いだけでは生きられないけれど
最後に残るのは思いだね。
fuuちゃん、おはよう。
どう生きるか、どう死ぬか、どう死を迎えるか。
この三つの言葉って、全然違うようで、心構えとしては同じだなーと感じます。
fuuちゃんの言っているように、どう死ぬかと思っているということは、生きているのだから。
fuuちゃんは仕事上、人の生死と真正面で向き合ってるんだよね。
そういう意味では、「死」のほうがクローズアップされる場面が多いよね。
人の一日は人の一生の凝縮だと考えてみると、
朝起きたときが生まれたときで、夜寝るときが死ぬときって考えることができると思う。
以前、「子育ては寝際が肝心」で書いたことがあるけど、
子どもを寝かしつけるときに、その日にあった良いことばかりを思い出させるような話をしてあげると、満面の笑顔で眠りについていくよ。
しかもそうしてあげると、悪い夢を見ないようだし、次の日の朝、すごく気持ちよく目覚めてるよ。
ということは、単純だけど、「どう寝るか」=「どう死ぬか」って考えることができると思う。
自分の人生で良いこと、辛いこと、たくさんあったと思うけど、良いことばかりを思い出すようにしながら、死を迎えていけたらいいよね。
そう考えると、結局、人生はどれだけたくさんの良いことを経験しながら生きていけるか、なのかな。
話がグルグルまわっちゃったけど、今回のコメントもたくさんの気付きを与えてくれたよ。
ありがとう!!