ここ何回か、アメリカ留学時代の思い出を投稿してきましたが、実は、アメリカ留学の後、もう1ヶ国、英語圏以外の言語を勉強をしたくて、日本にもっとも近い国、韓国に留学していたことがあります。
当時、中国語と韓国語とでほんの少しだけ迷いましたが、実は30年以上前から韓国に移り住んでいる叔父がいたという理由でほぼ即決でした。
叔父は渡韓当時、日本で薬学を専攻しており、当初は、韓国の製薬会社からの招聘で渡り、そのまま現地で家庭も持っていたのでした。
アメリカに留学したときと違い、家族の元に行くようなもので、とても心強かったのを覚えています。
韓国の地に降り立ったのは極寒の2月。鼻がつんと痛くなるくらい寒かった記憶があります。留学先はソウル大学の語学研究所で、ここでも米国留学時代に負けず劣らず、さまざまな経験をしました。
ここには、在日韓国人、在米韓国人、日本人、中国人、タイ人、アメリカ人、ベルギー人、フランス人などなど、世界各国からたくさんの生徒たちが集まっていました。
この時のエピソードはまた別の投稿に譲るとして、今回は、この時に書いた小論文のタイトルの話をしたいと思います。
その論文のタイトルは、「嫌いな人をなくすために」でした。
内容自体はもう15年以上も前の話なので、よく覚えていませんが、基本コンセプトは変わってないので、少し書いてみたいと思います。
今から思えば、小学生時代から、人間関係で「気まずい」「口をきいてくれない」「無視される」など、そんな間柄が大嫌いでした。
また、自分自身が「好きになれない」と思う人がいるのもダメ。
だから、そういう人が一人でもいると、その人のことをとことん理解し、受け入れるまで、観察したり、会話したり、積極的に関係を改善しようとしました。もちろん、私に非があるときはきちっとそれを認め、謝る努力もしました。
「人を嫌いになる」とか「好きになれない」ってとても主観的な行為で、「人を好きになる」「人を愛する」も同じです。
つまり、相手が自分を嫌っていようが、好きであろうが、どういう状態であろうと、私の心ひとつでどうにでもなるということです。
嫌いになってしまった人を好きになるということは、そう簡単なことではありません。
でも、不可能な話ではないことも事実です。
人を嫌いになるプロセスは、ちょっとした出来事から口をきかなくなり、時が経つにつれて憎悪感がどんどん増していくパターンや、人生を狂わせるほどの裏切りや、背信行為が原因のパターンなど、さまざまです。
一度嫌いになってしまうと、その人のやることなすこと、一挙手一投足が気になり、嫌気がさすのです。
髪の毛の生え際を見ただけで虫ずが走る!みたいに。。
でもこれは、自分の目の前に「思いの窓」というフィルターがあり、そこが一次的に曇っているだけなのかもしれません。(「思いの窓というフィルターの曇り」参照)
その人のことをまだまだ何にも知らないだけなのかも。
思い込みや、決めつけ、被害妄想、敵対心、人間不信などなど、人間関係でのマイナス的要素のほとんどは、自分の思いの窓というフィルターの曇りから来ています。その曇りを自らが取り除かない限り、人間関係は改善されません。しかも、排他的になればなるほど、自分がどんどん孤立するだけなのです。
貿易商社に勤めている頃、何年にもわたって、ある韓国人とプロジェクトを進めたことがあります。
彼は私より3つ年上で、とっても頭が良く、英語も日本語も達者な人でした。私はそんな彼を心から尊敬し、これからもずっと一緒に仕事をしていきたいと思っていました。
が、そんなある日、ちょっとした会話でコミュニケーションがぎくしゃくし始め、それまでは日韓の歴史問題などまったく持ち出したことがなかった彼が、突然私への個人攻撃から日本への非難の言葉までまくし立て始めたのです。
彼との関係がおかしくなってからというもの、実際はそうでないかもしれないのに、彼の言葉の端々に私への攻撃が散りばめられており、彼の行動が私をおとしめるためのものだと勝手に思い込んだりしていました。
そんなこんなで、関係が改善されないまま時だけが過ぎていきましたが、このままでは私も彼も、そしてそのプロジェクトまで全てが台無しになってしまうと感じ、それまでは、原因はすべて彼にあると思い込んでいた私は、少し冷静に考えてみたのでした。
ここで重要になるのはコミュニケーションです。
コミュニケーションって、鏡に向かって卓球のラリーをしているようなもので、こちらから投げかけたことがそのまま返ってきます。
その時はお互いに心を閉ざしており、それぞれが自分が正しいから相手が変わるべきだという観点からしか言葉を発していないので、言葉の端々にとげがあったのだと思います。
私は、韓国に一年間留学していましたが、日本で生まれ育ち、韓国のことや彼のこともまだまだわからないことだらけ、彼も日本に来てまだ1年ほど、それぞれ歩んできた道も違えば歴史も違います。すれ違いもあって当然。まだまだ彼のことを理解できてなかったということにやっと気づかされたのです。
それまでは、「こちらのことをもっと理解してほしい」という観点から会話していたのを、「理解してから理解されるということ」を実践してみたのです。
その時、彼のことを「理解したい」「プロジェクトを成功させたい」という動機で会話をすることで、私の言葉が明らかに変わったのを感じました。
「一期一会:初対面のあいさつは早い者勝ち」では、あいさつは先にするほうが勝ち、ということを書きましたが、ケンカをしたり、気まずくなってしまった関係を改善するアプローチも早い者勝ちです。
このようにして、初めて彼と本音で話をしていくと、彼もこの関係をどうしたらいいのだろうと真剣に考えていたらしく、このことをきっかけにもっともっと深くわかり合え、それからいくつものプロジェクトを成功させることができたのでした。
さて、今回の投稿のタイトルは「嫌いな人をなくすため」ですが、これが「人に嫌われないようにするため」だと話は全く変わってきます。
私たちはたくさんの人と関わり合いながら生活をしています。家族や友人、職場の上司、同僚、部下、隣近所、、この人たち全てに好かれようと思いながら生きていくことほど大変なことはありません。
人の数だけ価値観があります。
例えば、私があるひとつの行動を起こしたとして、その行動に全ての人が賛成してくれるとは限りません。
ある人は「とんでもない」と言うかもしれないし、「どんどんやりなさい!応援するよ」と言ってくれる人もいるかもしれません。
接する人それぞれに対して自分を好きになってもらおう、受け入れてもらおうという観点は、いつか破綻してしまいます。
いわゆる八方美人という言葉で言い表せる状況になってしまい、人格の二面性を認めざるを得なくなってしまいます。
あのマザー・テレサでさえ、彼女を非難する人がいるのです。
重要なのは、周辺の人が私を好きであろうが嫌おうが、私は全ての人を好きでいたいし、愛していたいという信念。
別に全人類を愛するなんて大げさなことを言わなくても、まずは私と関わる人を好きでいたいし、短所も長所も含めて全てを受け入れたい。そう願っています。
私が見て、感じているこの世界は、全ては、私の見方、考え方から創り上げられた世界。
この世界を変えたいと思うなら、私の見方、考え方から変えていくことで、いくらでも変えることができるのです。
生まれたての赤ちゃんには、好き嫌いなんかなかったはずです。
成長していくとともに、その環境や教育、人間関係などのさまざまな経験によって、少しずつフィルターや眼鏡に色がついていくのです。
そのフィルターを掃除し、眼鏡にクリーナーをかけるのは、他の誰でもない自分自身です。
最後に、以前投稿した「人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」から「逆説の10カ条」をふたたび引用して終わろうと思います。
今回も最後まで読んで下さってありがとうございました。
逆説の10カ条
1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
2.何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
6.最大の考えをもった最も大きな男女は、
最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
9.人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
10.世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
お兄ちゃん。
私も、嫌いな人がいるのがダメなタイプだよ^^
だけど、全ての人に好かれることは無理。
それをお兄ちゃんは、ちゃんと区別して教えてくれる。
ありがとう。
私がしてきた、仲良くなれない人との関わり方は
希望のクッションを置くこと。
今はダメかもしれない。
だけど、いつか分かり合えるかもしれないから
その時、愛せるようにしておこう。
こう思うようにしたら
受け入れがたい相手の話しも
冷静に聞けるようになったよ。
希望って大切ね。
人っていつどう変わるか分からないもの。
だから、今の段階で好き嫌いを決断しないで
保留にしておくの。
憎しみも悲しみも経験したよ。
そんな自分も嫌いになりかけた。
でも、とらわれていたのは
一時的で表面的なこと。
どうなりたいのか
それを見ることができたら
希望のクッションを置けるようになったの。
逆説の10か条も、すべてクッションが入るのだと思う。
そうじゃないと、自分を必要以上に傷つけてしまうから。
そんな感じでいいよね^^?
ことりちゃん、コメント、ありがとう。
「希望のクッション」って言葉、すごくいいね。
自分の感情を抑え込んでまで、嫌いな相手を受け入れるというのは、少なくとも「自然体」じゃないよね。
だから、受け入れがたい相手から来るストレスを、最小限にするための「希望のクッション」というのがあれば、すごく前向きでいられる!
逆説の10カ条も同じだね。そんな感じ!
今回もいい言葉を教えてくれてありがとう!