ガチョウと黄金の卵

夏休みは親と子が会話するいい機会!子育ての重要な時間。

夏休み真っ最中。
子供の頃は、真っ黒に日焼けしながらカブトムシを追っかけたり、プールに行ったり、遊びに夢中になって、夏休みはあっという間に過ぎたという記憶しかありませんね。

親としては、子どもが学校に行かない分、けっこう気を遣う夏休み。

我が家は私自身が単身赴任で、しかも妻も働いているので、ほとんど放任状態ですが、おばあちゃんがいてくれるので、昼ご飯とか、大変助かっています。

さて、話は夏休みの話題から、ガラリと変わります。

このブログでもよく取り上げる書籍『7つの習慣』。
本書は、ビジネス書として紹介される場合が多々ありますが、内容は、純粋な「人間学」であり、「人生哲学」です。
よく書店で平積みされているビジネス書は、スキルやノウハウ本が多いのに比べ、本書は「人格主義」を貫いています。

その中で、イソップ童話の「ガチョウと黄金の卵」の話が出てきます。

ガチョウと黄金の卵

ある貧しい農夫が、飼っていたガチョウの巣の中にキラキラと輝く黄金の卵を発見した。最初は誰かのいたずらだろうと思って捨てようとしたが、考え直し、念のために市場まで持っていくことにした。すると、卵はなんと純金だった。農夫はこの幸運が信じられなかった。翌日も、同じことが起きた。来る日も来る日も、農夫は目を覚ますや否や、ガチョウの巣に走って行き、新しい黄金の卵を発見した。やがて、農夫は大金持ちになった。ところが、富が増すにつれて欲が出て、せっかちになっていった。一日一個しか生まれない黄金の卵が待ち切れず、ついにガチョウを殺し、腹の中の卵を一気に手に入れようと決めた。そして、いざガチョウの腹を開けてみると中は空っぽだった。

黄金の卵はもちろんなく、そのうえ黄金の卵を手に入れる手段さえも、農夫は失くしてしまったのだ。黄金の卵を生み出してくれるガチョウを殺してしまったのだ。

 

この寓話は、私も小学生の頃に読んだ覚えがあります。
ですが、本書を読んではじめてその真意を理解しました。

その解説部分を引用してみます。

7つの習慣 - 成功には原則があった!

この寓話は、ひとつの自然法則あるいは原則を教えてくれている。それは、真の効果性を定義してくれるものである。ほとんどの人は、効果性あるいは成功について考えるとき、黄金の卵のことだけを考えがちである。生産を上げ、目標を達成しさえすれば、それが「効果的」だと思い込む。

しかし、この寓話が示してくれるように、真の効果性というものには二つの側面がある。それは、目標を達成することまたは結果を手に入れること(黄金の卵)と、その結果を手に入れるために使う資源あるいは目標を達成する能力(ガチョウ)、の二つである。

つまり、ガチョウを疎かにし、黄金の卵ばかりを追い求める生活様式を取り入れれば、やがては黄金の卵を生み出してくれる資源をなくしてしまうことになる。逆に、ガチョウの世話ばかりして黄金の卵のことをまったく考えなければ、自分自身もガチョウも食べさせる資力を失ってしまうだろう。

効果性は、この二つの側面のバランスにある。それをP/PCバランスと呼んでいる。すなわち、目標達成(Performance)Pと、目標達成能力またはそれを可能にする資源(Performance Capability)のPCから名づけられた原則である。

 

人は、ややもすれば、成果や結果ばかりに関心が向いてしまい、その成果を生み出してくれるものの存在を忘れてしまいがちです。
でも、だからといって、逆にその成果を生み出してくれるものばかりに気をとられても、今度は成果を得られなくなる可能性があります。

働かせすぎはガチョウを失うことになる

例えば、工場の生産量を上げるために、職員を無理に働かせた場合、一次的に生産量や売り上げは上がるかもしれませんが、職員は心身ともに疲弊してしまい、やがては去っていってしまうでしょう。その結果、生産量どころか工場自体が立ち行かなくなる可能性もあります。

逆に、木を切るという結果を出すことを考えずに、刃を研いでばかりいるとどうでしょう。
つまり、健康のために毎日ジムに通ったり、能力開発ばかりしていると、収入や売り上げを上げられなくなり、生活することすらできなくなるかもしれません。

つまりP(目標達成)とPC(目標達成能力)のバランスが重要だということになります。

PとかPCという表現になると、なんだか難しく感じますが、本書では、夫婦と親子関係に関する例でわかりやすく解説してくれています。

例えば、夫婦が、お互いの関係を維持することよりも、相手にしてほしいこと(黄金の卵)ばかりを要求していれば、感受性や思いやりがなくなり、深い人間関係を保つために必要不可欠の小さな親切を疎かにしてしまうことになるだろう。相手を操ろうとし、自分だけのニーズを主張し、自らの立場を正当化しようとし、相手の誤りを指摘するためのあら探しを始める。やがて、愛する気持ちや優しさ、あるいは思いやりといった気持ちが薄れ、自然な雰囲気が壊れる。日に日にガチョウの容態が悪化していくことになる。

また親子関係ではどうだろうか。子供は幼いとき非常に依存した存在であり、傷つきやすい状態にいる。しかし親は往々にして、この時期、子供に対する育成、コミュニケーション、感情移入といったPC活動を疎かにしがちである。なぜなら自分のほしい結果を即座に手に入れるのに相手の弱さにつけ込み、相手を操ることがとても簡単だからである。親の方が大きいし、賢いし、正しいから、どうすべきかを指示するだけで済む。必要とあれば、叫び、脅し、強制すればいいと考えてしまう。

逆に甘やかすということもある。子供に好かれるという黄金の卵を求めて、常に子供を喜ばそうと、子供の望むままにさせてしまう。その結果、子供は、大人になってから内的な基準やモラル、あるいは道徳観を一切持たない、躾と責任感のない人間に育ってしまうことになる。

両方の育て方(独裁的あるいは寛容)は、いずれも結局は、黄金の卵を求める発想に過ぎない。自分の意思を通したいか好かれたいかのどちらかである。しかし、それをし続けたときガチョウー子供ーはどうなるだろうか。

 

親子関係は思いやりのあるコミュニケーションが大事

うちも今、子育ての真っ最中で、上記のようなシチュエーションはよく理解できます。

結局、子供といえども、人格を持った一人間であり、かけがえのない存在。
親として、なるべく囲いを作ったり、リミッターを設定しないようにしながらも、責任感と思いやりのある子に育てようと夫婦で話しています。

人間関係でもビジネスでも同じですが、「長期的に成果を上げるために必要なことは何か」がとても重要になってきます。
その場限りの対応や、付け焼き刃的なテクニックだけでやり過ごすことが続いてしまうと、決して長続きしません。
もちろん、テクニックやノウハウもあるに越したことはありませんが、「人格主義」を貫く生き方こそが、人の本来の生きる姿だと思います。

今回は少し硬い内容になってしまいましたが、
ちょうど夏休みで親と子が接する時間が長くなるので、今回はこのような内容を取り上げてみました。


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