豊かな時を得るために:時間管理は出来事管理

なんだかんだ言って、2012年も9日目。

去年の今頃は何をしていたんだろうと、ふと過去の投稿を探してみました。
そうしたらちょうど去年の今日投稿した記事がありました。
タイトルは、「明日死ぬかもしれないと考えてみる

私が学生時代から尊敬してやまないスティーブ・ジョブズが、生前にスタンフォード大学でのスピーチした中でも似たような内容が出てきます。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 

去年の転職を決めたときは、スティーブ・ジョブズのスピーチの「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」という言葉は大きな後押しになりました。

人生はたかだか80年前後。
時間単位で言うと、
80年×365日×24時間=700,800時間

人生、長いようで短いようで。。
いずれにせよ、時間は限られています。

そんなわけで、「時間」についてはよく考えます。

先日読んだ『タイムマネジメント4.0 -ソーシャル時代の時間管理術-』という本の中に、「時間とは」と定義してありますので、少し引用してみます。

英語のウェブスター辞典では、Event(出来事)という単語を用いて、A=Bスタイルの表現で時間を次のように定義しています。

時間とは、出来事が、過去から現在、未来へと続いていく連続体である。

よりストレートに表現すると、「時間とは出来事の連続体」ということになります。

時間は無常にも万人に与えられ、そして等しく過ぎ去っていきます。どんなに悲しいこと、後悔することがあり、時間を戻したいと願っても、たった一秒すら戻す力は誰にもありません。この時間が永遠に続いてほしいと願っても、一時間は一時間であり、たった一秒ですら延ばすことはできません。また、今月の余剰金を来月に回すように、時間をスライドさせることもできません。つまり、私たちが時間を管理することなどできないのです。
しかし、私たちにもできることはあります。たとえば、あるスケジュール(出来事)を少しずつずらして、あることに使う時間を増やすこと。また、時間の余裕があるときに前倒しでタスクを実行すること。つまり、時間ではなく私たちの「出来事(Event)」ならば管理することができるのです。

 

「時間とは出来事の連続体」

まさにその通りですね。

何もしなくても時間は過ぎていきます。
でも、「何もしない」という「出来事(Event)」は起きています。

時間を遅くしたり、勝手に長くすることはできませんが、出来事を管理することはできます。

以前の投稿「時間:いまというときが、いざというとき」でも引用しましたが、奈良本辰也訳編『葉隠』では、時間とどう向き合うかに関して、次のように説明しています。

まさに現在の一瞬に徹する以外にはない。一瞬、一瞬と積み重ねて一生となるのだ。ここに考えがおよべば、あれこれとうろたえることもなければ、探し回ることもない。この一瞬を大切にして暮らすまでのことだ。一般の人は、ここのところを間違って、別に人生があるように思い、それを尋ね回って、この点に気づく者がない。この一瞬をいつも大切にして怠ることがないようになるには、年功を積まなければならないものである。しかしながら、一度その境地にたどりつけば、いつもそのように思いつめていなくとも、その境地をはなれることはない。
この一瞬にすべてがあるということを十分に心得たならば、物事は簡単に運ぶものだ。この一瞬に忠節の心が備わっているものである。

いまというときが、いざというときである。いざというときは、いまである。
そのいまと、いざというときとを二つに分けて考えているから、いざというときに間に合わない。

 

今この瞬間の状況と感情を大切にする。
そしてブレない。

最近はこれだな!と思っています。

時間は出来事とともに流れていきます。
人間関係も、そしてモノも。

出来事もモノも、人間関係さえも管理するのは自分。

昨年から、断捨離、片づけ、そして引っ越し。
今回ほど、「今・ここ・自分」という言葉が大事だなって思ったことはありませんでした。

※キーワードは「今・ここ・自分」

「不要・不適・不快」なモノを、いつまでも身のまわりに置いてはいけません。
常に「今」という時間軸にそって、「必要・適切・快適」なモノだけが残るように取捨選択していくこと。
今の自分に必要でないモノをきっぱりと捨てると、身のまわりも心もスッキリします。それは、モノも気持ちも「新陳代謝」できるということなのです。

不思議なくらい心がスーッとする断捨離』(やましたひでこ著)より

 

一見、「モノ」の片づけと「時間」の管理って、直接関係ないように思いますが、実はものすごく関係しているということがわかりました。

不要なモノ、余計なモノがないことによって、行動がとてもシンプルになります。
どこに何があるかを知っているので、必要なモノを手に取るまでの時間がとても短縮されます。
と同時に、心の中までシンプルになり、それまでは複雑だった思考も明確になるのです。

日々の出来事も、不要な約束や予定、あるいは悪い習慣となっている事があるかもしれません。
それを削ぎ落としていくことで、新たな時間が空き、そこに、趣味や家族との団らん、自分自身の研鑽など、大切な出来事を入れ込むことだってできるはずです。

このサナギ・ブログで何回か紹介している「7つの豊かさ」の一つである「」。

自分の中の羅針盤に従いながら出来事を管理し、達成できたときの感情を想像することによって、豊かな「」を得ることができると思うのです。
(「時計と羅針盤(コンパス)と感情」参照)

今回も最後まで読んでくださってありがとうございます。


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2 thoughts on “豊かな時を得るために:時間管理は出来事管理

  1. 私も昨年、仕事場を移動させるという状況になり‥断捨離を経験しました。
    居場所を移動させるときは、断捨離するとき。
    いらないものを見極めるとき。
    物質的にも精神的にもいつまでも手放せなかった不要なものが自分の許容量の半分以上を占めているとしたら‥
    本当に大切なものを見落としていたり、十分に使いこなしていないのかもしれないと思いました。
    50歳という年齢を間近に控えての断捨離。。成人した20代から一人歩きを始め、80代の平均寿命までの60年間のちょうど真ん中にあるのが50代。人生の頂上まであと少しあと少しという気持ち‥人生二度目の成人の日のような心境でいます。

    1. かおるさん、今回もコメントありがとうございます。
      仕事場の移動、大変だったと思います。
      でもそれをチャンスに変えるところがさすがです。
      場所の移動はモノの移動、まさに不要なモノ、不快なモノ、不適なモノが見えてくる時ですよね。
      時間の使い方も出来事(イベント)の裁き方も結局は無駄なところを片づけ、断捨離していくことにより磨かれるって事ですね。
      新たに成人式を迎えるという心境は、まさしくサナギを経て本当の「人に成る」という心持ちなのかもしれません。
      私も、引っ越しをしながら、モノや時間と真っ向から向き合うことで、新たな自分と出会った気がします。

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