Appleとの22年間


昨日から出張で大阪に来ております。

昨夜の土砂降りの雨もあがり、朝から快晴の空が広がっています。

ここから車で3時間ほどの、四国、徳島の我が町では、毎年2回の運動会があります。
1回目は幼稚園、小学校だけの運動会。
そして2回目は、保育園、幼稚園、小学校、中学校、婦人会、老人会、青年団、消防団、、町民あげての全町運動会です。

それが今日。

昨年に続いて今年も参加できないので、先ほど4人の子どもたち一人ひとりと話をしました。
中3長女、小6次女、小3長男、小1次男、全員リレー選手に選ばれているそうです。

話をしながら、子どもたちには、一つでも多くの良い想い出をプレゼントしてやりたいなと思ったのでした。

想い出と言えば、、

以前、「魚屋時代の話」でも投稿しましたが、昼間は包丁を握り、夜は大学に通っていた時期がありました。それが今から四半世紀ほど前。
仕事も大学も楽しく、時の経つのを忘れて打ち込んだ青春時代でした。
その頃、もう一つのめり込んだものがあります。
それがコンピュータでした。

当時、ワープロ専用機が流行し、大学のレポートなどでも必要だったので、18万ほどする東芝製のを月賦で買いました。

もともと文房具好きの私は、システム手帳にも凝っていたので、市販のリフィルには飽き足らず、そのワープロで、よくオリジナルのリフィルを作ったものです。

ただ、ワープロには行間や罫線の種類などなど、制約が多すぎて、満足できるものがなかなかできませんでした。

そんな中、大学の授業でもパソコンを習うようになり、これからはパソコンが扱えないと生きていけない時代だなと直感し、色々調べていくうちに出会っていったのがAppleのMacintoshでした。

実はその時、NECの98シリーズとMacとで迷いました。

MS-DOSを搭載した98シリーズは、比較的安く、全盛期には日本国内における市場占有率90%以上という超スタンダード。
それに比べMacはものすごくマイナーで、しかも高価。

しかし実際は、Macの画期的なシステムに一目惚れでした。

キーボードからコマンドを入力するタイプの98シリーズとは違い、Macはマウスで操作できるし、見たまんまが印刷できる(WYSIWYG)という、あまりにも魅力に溢れた代物でした。

こうしてMacが嫁いできた我が人生、その時から生活が一変しました。

自分の中にある思考やアイディアをアウトプットする喜び。
そしてそれを思い通りに表現できたときのさらなる喜び。

大学の授業で、MS-DOSに最初に触れたときは、コンピュータに人間が操られているように感じましたが、Macは逆だったのです。

それからというもの、どこに行くにもMacと一緒。
最初のMacは、Macintosh SE/30というディスプレイ一体型で、通勤通学に使っていた軽自動車の後部座席に乗せてあちこち連れ回したものです。

夏休みや冬休み、四国に帰るときも一緒です。
わざわざそのために、東京から徳島へは飛行機ではなく、Macを積んで約20時間かけてカーフェリーで帰ったくらいですから。

アメリカ留学韓国留学もいつもMacと一緒。

韓国に留学したときなどは、Macの日本語システムを、韓国語も入力できるように改造し、クラスの名簿を作ったり、論文(嫌いな人をなくすために)なんかも書いたのを思い出します。

話は大学時代に戻ります。
昼間は魚をさばき、夜は大学、そして深夜はMacという生活でしたが、もっともっとコンピュータに触れる時間が作りたくて、魚屋は目が回るほど忙しい土日だけにし、月曜日から金曜日まではアスキーという会社に勤めることにしました。

アスキーでは、資材管理部というところで、書籍やパッケージソフトなどの管理をしていました。
たまに私宛にかかってくる内線で、最初の頃はよく「はい、鮮魚です」と出てしまったものです。

このようにMacが来てからというもの、生活は一変しました。
魚屋の刺身注文用紙や、自分の年賀状のデザイン、卒論なども全部Macで作成しました。
こんなソフトがあればいいなと思うものは作ったりもしました。
そんなこんなで22年、Macに限らずAppleの製品は、私の生活の一部となりました。

なんでそこまでAppleが好きになったのかって訊かれると、やはりそこにはスティーブ・ジョブズの妥協のないこだわりと、とことんまで貫いたユーザー目線。これだと思います。
そのスピリットが私に限らず多くの人々をとりこにしてきたのでしょう。

そんな中、10月5日、彼は永眠しました。

そのニュースは世界中を駆け巡り、彼のニュースでTwitterのサーバーがダウンするほど。

しばらくは、私の心にはぽっかり大きな穴があいた感じでした。
その翌日、早めに自宅を出て、銀座Appleにおもむき、感謝の言葉を伝えてきました。

このブログのタイトルは、「サナギ・ブログ良いとこ取りの人生哲学」。
彼から教えてもらった人生哲学はたくさんあります。

2005年のスタンフォード大学でのスピーチ(日本語訳文)の中にもたくさん散りばめられています。
(英語原稿→こちら

その中でも大好きな言葉は、「Stay hungry, stay foolish.」

「現状に甘んずることなく、常に前のめりに歩みながら進化し続ける」ということを教えてくれました。

15分ほどのスピーチですが、彼の人生哲学のエッセンスが語られています。
私のiPhoneの中にもいつでも観られるように入れてあります。

今回は、私の、Appleとの22年間の総括として、ブログを書いてみました。

今朝、だだだだだーって書いたので、支離滅裂な文章になってるかもしれません。
今回も、最後まで読んでくださってありがとうございます。


2005年のスタンフォード大学でのスピーチ


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2 thoughts on “Appleとの22年間

  1. さな爺、はぐ♡
    わたしのMac人生も、SE30と共に始まりました。

    はじめて触った時の驚きと喜び。
    NECの98で、もどかしさを感じていたので、
    すぐにとりこになり、それからはずっと一緒です。

    デザイナーにとっては、ペンや絵の具と同様に
    単なるツールでしかないはずのMacなのに、
    まるで人格があるように、いつも感じていました。

    思い通りにデザインできた楽しい時も、
    徹夜でへろへろになって苦しい時も、
    黙ってそばにいて、共に時間を共有してくれたMac.

    別々に生きてきたさな爺もまた、
    同じようにMacと関わってきたんだな〜と思うと、
    世界中にそういう人たちがたくさんいるのかもしれないと
    なんだか嬉しくなります。

    ステーブが考えていたことは壮大で
    まだほんの数パーセントしか実現していないようだけれど、
    あと何年かするうちに、
    どんどんリアルになっていくのでしょうね。

    今日は、iPhone4Sが届きます。
    For Steave ステーブに捧ぐ…とも言われている4S。
    写真を撮る楽しみを増やしてくれたiPhoneに感謝して、
    その進化を試してみるのが、楽しみです。

    毒林檎狂集団のひとりとして、
    これからもAPPle社を応援しつつ、
    見守りたい…と考えています。

    同じ心を持つMacファンとして、
    情報交換、相互交流、ツイ友、魂友 etc.として、
    これからもよろしくね、さな爺♡

    1. じゅんこさん、こんにちは。

      同じSE/30だったとは驚きです。

      大学では、無機質な画面に向かいながら、98でコマンド打って動かしていたので、Macにはじめて触れたときのあの感動と喜びは今でも忘れられません。

      スティーブには、「One more thing」と言いながら、もっとこの世をあっと言わせて欲しかったけど、それはそれで意味があることだと思います。
      彼は4年先までのプロダクト計画を残していったそうだし、リンゴの種は間違いなく蒔かれているはず。
      もっともっとたくさんの実りがあると信じています。

      iPhone 4(for) S(Steve)

      私も明日届きます。
      めちゃめちゃ楽しみにしております。

      こちらこそ、同じMacファンとして、ツイ友、魂の友として、これからもよろしくお願いいたします☆

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