昨晩からのどか雪で明けた東京、この冬初めての積雪に歩きにくそうな通勤、通学の人たち。
そんな私も何回か横滑りしながら出勤しました。
田舎も昨日はけっこうな雪が降ったらしく、薬局に勤める妻と話した時に車通勤も一苦労だったようです。
そんな今日は妻の誕生日。
単身赴任の私はいないし、長男と次男はインフルエンザで伏せっており、いつもより静かなバースデーとなったようです。
それでも、先日パジャマ屋さんでお世話になったプレゼントのパジャマが届くと、妻からとっても嬉しそうなメールが飛び込んできました、最後に一言添えて。
「お母さんもパジャマをくれたよ」
その時、小五の次女が言ったそうです。
「やっぱりお婆ちゃんとお父さん、親子やなぁ」と。。orz
でも、私が贈ったのはパジャマ屋店長さん推薦の新商品で、七分袖のもの、母からもらったのは冬用なので、ちょうど良かったかなと。
さて、妻の誕生日と言えば、忘れもしない15年前。
結婚したての当時、一緒に暮らし始めてまだ3ヶ月しか経ってない頃(95年6月頃)、妻がアフリカに行くと言い出したのです。
当然ながら結婚するまでは一人暮らしだった私にとって、仕事でヘトヘトで帰ってきても、家には灯りがともり、毎日の手料理はとても美味しく、本当に幸せな日々でした。
それが、、「アフリカに行くだってー」って感じでした。
妻はもともと薬剤師で、ボランティアが好きだったので、結婚する前も医療関係のボランティアでアフリカのニジェールに1年ほど行ってました。
妻曰く「まだやり残してきたことがある」らしいのです。
子どもができてしまうと、そう簡単に行けなくなるし、私自身ボランティアは大賛成だったので、内心渋々でしたが承諾したのでした。
妻が行ってしまった後は、何やらぽっかり大きな穴があいた感じで、週に一度は手紙を書いたのを思い出します。
そんなこんなで約8ヶ月ほどが過ぎて、やっと帰国が決まりました。
しかし、ちょうどその時ニジェールでクーデターが起き、空港が閉鎖されたのです。
なんだかんだでゴタゴタも沈静化し、ようやく出発できたのが、出発予定の5日後。
結局4回飛行機を乗り継いで、5日間かけて96年2月14日に帰国。
車を借りて成田まで迎えに行きました。
アフリカの太陽に焼けた顔は憔悴しきっていましたが、その夜、ともにバレンタインデーと帰国を祝い合いました。
その翌日である15日、つまり15年前の今日は彼女の誕生日。
結婚して初めての誕生日はちょっと盛大に祝ってやろうと思っていたら、なんとその日に40度の熱がでたのです。
長旅や時差で疲れが出たのではないかと、急遽近くの病院で点滴を打ってもらい、翌日には平熱に戻り、ホッと胸をなで下ろしました。
と、安心したのも束の間、また次の日に40度の熱が出て、さすがに渡航履歴から先生も不審に思い、検査してみるとマラリヤとの診断。
急遽、東京駒込の大きな病院を紹介してもらい、緊急入院。
当時の私は、マラリヤの知識はほとんどなく、「ま、ちょっと入院すれば治るだろう」くらいの軽い気持ちでいたのですが、担当の医師に私だけ呼び出され、話を聴いてみると、、
「ご主人、ちょっと最悪の事態も考えられますので、お話ししたいと思いまして。。」
とか言い出すではないですか。
医師によると、マラリヤの中でも一番たちの悪い卵形マラリヤというやつで、赤血球に巣くうマラリヤ原虫の仕業。
そのマラリヤが一気に繁殖するたびに高熱が出るそうです。
血液の100個の赤血球中、5個以上巣くっていると生命の危機領域らしく、妻の場合、検査の結果、6.5という数値が出たのです。
私は一瞬目の前が真っ暗になりました。
結婚して3ヶ月でアフリカに行って、やっと帰ってきたと思ったらマラリヤで命を落とすかも知れないという。。
これから子どももできて幸せな家庭を築いていこうと思っていたのに。。
お葬式はどうしたらいいんだろう!
家族に連絡をとらなきゃ!
人を助けるボランティアで行ってたのにー!
この結婚は何だったんだろう!
と、いろんなことが頭をよぎりました。
でも、まだ神様は見捨ててなかった!
医師がある提案をしてきたのです。
「ちょっと副作用の強いクスリがあり、それを使ってみるか?」
というのです。
クスリを反対から読むとリスク。。
余談はさておき。。
「もし妊娠していたら奇形児になってしまったり、流産する可能性があるけど、、」と。
それまで一緒にいなかったので、妊娠の可能性はないし、なんとか助かってほしいと思ったので、一発でサインしてその可能性にかけてみたのです。
次の日、再び検査をしたら、原虫は劇的に減少しており、妻は奇跡的に命を取り留めたのでした。
マラリヤは蚊を媒体としてかかる病気で、約一週間の潜伏期間があるそうです。
どうやらアフリカ出発の日くらいに蚊に刺されたのではないかとのことでした。
今から考えると、もう半日病院に行くのが遅れていたら、
もう一回発熱していたら、助かってなかったかも知れません。
そうなれば4人の子どもも生まれてなかったし、私の人生もどうなっていたかわかりません。
人の一生って長いようで、短いようで、色々あるなぁと。。
もうあれから15年も経ったんだなと。。
こんな話も子どもたちにはまだ具体的に話したことがなかったので、この機会に日記代わりにブログに残しておこうかなと思い、したためてみた次第です。
極めて個人的な内容で失礼しました。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
なんという絆のお二人。ただただ、感動するばかり。
奥様も、さな兄さんも、素晴らしいなぁ。
結婚してからの喜びのひとつって、大なり小なりの困難をふたりで乗り越えるていくこと、のような気がしています。
乗り越えるたびに、他人が家族になっていく。
ドキドキやときめきは多少トーンダウンしても(うん?笑)、大切な、かけがえのない存在になっていくような。
さな兄さんのブログでそんなことを思い出させてもらえました。
”愛”ですね、”愛”(^^)。
あ、大切なことを記すのを忘れてました。
最愛の奥様のお誕生日、おめでとうございます♪
パジャマをふたつ、なんてお幸せ♪
リエさん、早速のコメント、ありがとうございます。
特に、結婚してまだ一年も経ってない頃の出来事だったので、さすがに色々考えさせられました。
今となっては、すべてが思い出話ですが、渦中にいる時は、七転八倒の身もだえの日々でした。
パジャマはダブってしまいましたが、これもまた思い出。
人って、色んな人との思い出を積み重ねながら人格を成長させ、愛情を醸成させていくんでしょうね。
リエさんも、今回の目の病気では色々考えられたと思います。
すべてが素晴らしい思い出になりますように^^
奥様のお誕生日おめでとうございます。
さな爺と奥様の間に、こんな大事件があったとは…。
しかし、さな爺妻はやはりただものはありませんね。
単身赴任の夫を支えながら、
その母と同居して、薬剤師という専門職を持ち
出産するだけでも大変なのに
4人の子育てをしているスーパーウーマン。
ぜひ一度お会いしたいものです。
ボランティアで何かするという事も大変な事ですが、
しかもアフリカまで行かれて、
自分の命までも削って…と考えると中々できることではない。
信念のある方なんだろうなと驚嘆するばかりです。
そういう妻を見つけた、さな爺もまたすごい人なんですよね。
人生には色々な事が起こりますが、全ては必然です。
結婚して1年目で起きたこの事件は、
ふたりの人生にとってどんな意味があったのでしょうか。
考えさせられます。
ところで、親子ってつながってますよね。
何故か同じ時に同じ事を考えたりして。
面白いなあ。ぷぷぷ。
親子、夫婦のつながりの妙について考えて
あたたかい気持ちになりました。
しあわせのおすそ分けをありがとう。
さな爺&ご家族が、これからもしあわせでありますように。
じゅんこさん、おはようございます。
人生って、受験、就職、恋愛、結婚、出産、子育て、、、色々ありますが、今のところ私にとって「結婚」が大きな節目になっているのは確かです。
しかも生死の問題が絡んでいたので、その節はとても強固なものになったように思います。
本当に、じゅんこさんのおっしゃる通り、人生に起こるすべてのことは必然なんだろうなと考えさせられます。
その必然の出来事たちが、今の私を支える土台になってると。。
親子のつながり、これも痛感します。
特にうちの母は、「虫の知らせ」というか第六感が鋭く、私の体調や仕事のことなどがリンクしているようで、離れていても私が体調を崩すとわかるようです。
最近では、これは親子や夫婦に限らず、赤の他人であったとしても、志を同じくした人や同じような魂を持った人にも言えると思うようになってきました。
いずれにせよ、人類は一家族。
何かしらの色の糸で個と個がつながっているんだろうなと思います。
それが全体を創り上げているのだと。。
じゅんこさん、深夜3時に近いコメント、ありがとうございます。