月に一度の帰省。
今回は、名古屋、神戸、岡山で仕事をしながら、瀬戸内海を渡って四国の田舎に帰りました。
この出張旅行のパターンは今まで何回かありましたが、いつも自宅にたどりつくのは日付が変わる頃。
今回は、幸いにも、夕方まだ明るいうちに岡山を出発できたので、瀬戸内海の夕焼けを見ることができ、とっても幸せでした。
さて、その翌日、日曜日は朝から行事が盛りだくさん。
廃品回収
少年野球の練習
駅伝の練習
家族で外食ランチ
ショッピング
帰宅後、山の見廻り
この、山の見回りにはだいたい子どもたちを連れて行きます。
最近は中二と小五の娘二人はあまりついてきませんが、小二と幼稚園児の息子二人は声をかけると必ずついてきます。
竹やぶの様子、スギやヒノキの育ち具合、山道が崩れてないかなどなど。
たまにサルやキジ、シカなどに遭遇することもあります。
遠くでイノシシを追う猟銃の音が聞こえることも。
一通り見廻ったあと、必ず最後に立ち寄る小さな神社があります。
この神社の境内が、村の集会所になったり、お祭に夜店が出たりするくらいの広さで、滑り台やジャングルジムもあり、子ども達の格好の遊び場。
キャッチボールや、ママさんバレーまでできます。
境内には大きな木があって、その木を囲んでかくれんぼや鬼ごっこなどをよくしたものでした。
三角ベースの野球などは、その木に当たればホームラン!なんて特別ルールを作って遊んでた記憶がよみがえります。
木の種類は杉、樹齢は100年以上。
時には木の皮の隙間に爆竹を仕込みいたずらもしました。
時には親に叱られた腹癒せに木を蹴飛ばしたりも。
でも木は何も言わずにただ黙って私たちの成長を温かく見守ってくれました。
どんな嵐が来ようと、雪が積もろうと、あるいはサルに枝を折られようと、キツツキの鋭いくちばしで穴をあけられようと、ただじっと。。
以前、木を見つめながらそんなことを考えていると、なぜかとても愛おしくなって、自然に涙があふれてきたことがありました。
でもその木の姿は、耐え忍ぶとか、苦しみながらも何かの目的のためにとか、そんな仰々しいものではなく、どこまでも自然体。
時の過ぎ行くままに、何も語らず、ただ黙々と。。
実は私自身、そんな生き方にとても憧れて生きてきました。
だからと言って、何があろうとも無表情で過ごすというわけではありません。
人間は感情の生き物とよく言われます。
喜怒哀楽を感じ、言葉や体でそれを表現しながら生きています。
そういう中でも、過ぎてしまった過去にとらわれず、まだ来もしない未来を憂うのではなく、今を感じ、今を生きる!そんな感覚。
たとえ、目の前で想定もしない出来事が起こったとしても、動じず、それを受け入れ、その瞬間瞬間を最善を尽くしながら生き抜いて行く。
そのためにはそれに耐えうるほど大きく根を張っていなければなりません。
年を経て年輪を積み重ねるたびごとに、根も広く深くなる。
根は地中にあるため、目には見えない部分。
人間にたとえれば、
地上に見えている部分は体や醸し出される雰囲気。
根は心(人格、愛情、精神)。
2010年のテーマは「自然体」、
今年のテーマは「威風堂々」。
自分が決めたこと、
やったこと、
今感じていること、
これからやろうとしていること、
人間関係、、
あらゆることに対して、
地上は威風堂々とした幹を軸として、
しなやかに揺れる枝葉のように自然体!
地中は広く深く張る根のような精神!
まさに、
大樹のようになりたいものだ!
と、木を抱きしめながら感じた田舎での夕刻のひとときでした。
P.S. 木の幹にほっぺを当ててしばらくすると、木の温かさが伝わってきますよ。
(ちなみに撮影してくれたのは小二の長男です)
「地上は威風堂々とした幹を軸として、
しなやかに揺れる枝葉のように自然体!
地中は広く深く張る根のような精神!」
今の私にも必要なことと感じました。今年は勝負をかける年になります。
しかし、どっしりと威風堂々と自然体で対峙したいと思いました。
sanageeさんが原点を大事にされていることが分かったような気がします。
いのパパさん、コメント感謝です。
「今年は勝負をかける年」なんですね!!
そういう時、そういう年ってありますよね。
実は私も今年を勝負の年と考えておりました。
そういう決意をしたときこそ、色んな試練が襲いかかるもの。
大樹のように、多少のことでは動じない姿と精神で、その勝負に勝ちたいものですよね!
いのパパさんからはいつも教育者としてのリアルなお話とパワーをいただいています。
いつもありがとうございます。
‘勝負の年’ 男性的なことばです。
仕事を進めて行くには、男性的な意志が必要です。。
男性は雨風にあたりながら、幹の外皮をはぎおとして大きくなって行くように思います。
女性はいい栄養を吸収しながら、内側を充実させて行く‥
そのふた通りができている一本の木は太く頑丈で、何年もどっしりと根を張って
立っているのでしょうね。
かおるさん、コメント、ありがとうございます。
大樹を一組の夫婦と見立ててのコメントですね!
すごく奥が深い内容です。
中には男女逆の場合もあるとは思いますが、(笑)
結局はバランスなんでしょうね。
幹と枝葉は、風雪にもまれながらも、
しっかりと天(太陽)の光を受け止め、
根は、目立たなくても地に根付いて、養分を吸い上げる役割。
個としての人も、夫婦やパートナーも、このバランスがとても大事ですね。
『大樹のようになりたいものだ!』何も語らず、そのとてつもなく大きな包容力ですべてを受け入れてくれそうな大樹、人間には到底及ばない様な毎日の積み重ねがあってこそのその姿、そこに人は畏敬の念を抱くのでしょうか。
その大樹に接して、過去にとらわれず、未来を憂うことなく、今を感じ今を生きると感じるさなさんには深い感性が体に満ちているんでしょうね。
私も自分の感性を信じて、自分の出来るうることを自分の良心に従って行い、そのすべての責任を自分が持つ気持ちを持ち続けて、与えられた人生を全うしたいと思いました。
先生、コメントありがとうございます。
大自然から学ぶことってたくさんありますよね。
先生も動物の命と毎日向き合いながら生きておられるお仕事柄、生きている「今」の大切さを実感しておられると思います。
私なんぞは、文章ではエラそうなことを言っているかも知れませんが、すべて自戒の念であり、大自然の前に出ると、自分のちっぽけさを痛感するばかりです。
こんな動物や植物、自然のありのままの姿を子どもたちにたくさん見せながら、思いやりや慈しみの心を教えてあげたいなと思っています。