ストレス:思いを持たないという生き方

まだまだギラギラ太陽

今日は全国的にギラギラ太陽、ジリジリ残暑の日となりそうです。
食欲の秋どころか、まだまだ夏ばてに注意しないといけない、そんな天候が続いています。

さて、ギラギラと言えば、まだギラギラしていた30代、仕事のこと、家庭のこと、将来のことなどなど、自分の中の理想と現実のギャップに悩まされ、いつもフラストレーションがたまり、ストレスを感じてた頃がありました。
その時は、自律神経失調症一歩手前の状態で、通勤電車の中でも気分が悪くなり、よく途中下車して一休みしてから通ったりしたものです。

当時は、
「自分はもっとこうあるべきだ!」
「本当はこうでなきゃいけないのに、どうして。。」
「もっとこうしてくれたらいいのに。。」
と、自分や人、環境に対して、いつも突っかかってたような気がします。

でも、今はほとんどストレスを感じないで生きている自分がいます。

人生は川の流れのようなもの

まだ理想の自分に到達したわけでもないし、すべてがうまくいっているわけではないけど、「すべては、これでいいのだ!」って感じです。
妙なこだわりを捨て去り、目の前で起こるすべての事象を受け入れる、早い話が「まな板の鯉」。言い方換えれば「川の流れのように」。

今ある環境や人間関係、私自身の状況は、結局そのつどそのつど決断を下したり、道を選択しながらすべて自分自身で引き寄せたもの。そう考えると誰も非難できないし、しても無駄だということになります。

こういう心境の変化のキーワードは「受容」と「感謝

ある意味、自分自身でも、なんでこんなことにこだわっていたのだろうっていうくらい、スコーンと抜けた感覚だったことを覚えています。

以前投稿した記事「受容:すべてを受け入れるということ」に以下のような内容があります。

「s・a・n・a・g・i」の最初の[a]は、
【受容】acceptanceの[a]でもあり、
【感謝】appreciationの[a]。

(1)我に感謝
 私自身がこの世に生み落とされたこと、自分の長所も短所もすべて感謝

(2)人に感謝
 親に感謝、家族に感謝、先祖に感謝、係わるすべての人に感謝

(3)物に感謝
 私を取り巻く環境、宇宙、建物、動物、植物、昆虫、食物、すべてに感謝

(4)事に感謝
 良いこと悪いこと、日々起こる様々な出来事に感謝

(5)時に感謝
 過去に感謝、今現在に感謝、そして、訪れるであろう希望の未来に感謝

結局のところ、すべては心の置きどころの問題。
同じ事象に対して、感謝して臨むのと、否定的に文句を言いながら臨むのとでは、当然ながら結果も違ってくるでしょうし、その結果を受け入れる心も違ってきます。

この辺の感情のコントロール(=心の置きどころを定めること)ができるようになると、泰然自若として騒がない自己を発見することができるのだと思います。
私自身もそれに向かっての修行の日々。もちろん、自然体で!

今日のタイトルは、「ストレス:思いを持たないという生き方」

小林正観著『もうひとつの幸せ論』にストレスに関する内容があるので引用してみます。

もうひとつの幸せ論

人は、「思い通りにしたい」と思っているのに「思い通りにならない」ときに、悩んだり、苦しんだり、イライラしたりします。この状態が「ストレス」です。
「こうありたい」「こうであってほしい」と思っているのに、そうならない。だから「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を口にしてしまうのです。

 

続いて、ストレスを解消する方法として3つ紹介されています。

①西洋的な解決方法
「思い通りにならないことがあった場合、人の20倍、30倍、40倍、50倍も努力して手に入れること」

②東洋的な解決方法その1
「世の中は、『そもそも思い通りにならないものである』と思い定めること」

③東洋的な解決方法その2
「もともと思いを持たないこと」

ここで、「ストレス」とは、

「ストレス」とは言い換えると、「思い通りにならないことを、思い通りにしようとして、それでもやっぱり思い通りにならなかった状態のこと」

 

上記①の西洋的な解決方法は、その「思い通りにならないこと」を勝ち取るまで一生懸命努力するというやり方。
私たちは、子どもの頃から。この方法でやってきたし、学校だけでなく社会人になってからもこのやり方で、生きてきた気がします。

こういう中から「落ちこぼれ」という言葉が生まれてきたように思います。

さて、②の東洋的な解決方法その1に関しては、次のように書いてあります。

妻も夫も、子どもも、上司も部下も、社長も社員も、「思い通りにならないんだ」と思い定める。

(中略)

「世の中は『思い通りにならないものである』と思い定める。思いは持っているのだけれど、「思い通りにならない……と諦める」

(中略)

「諦める」というのは、言葉の語源でいうと「宇宙の法則を自分の中であきらしめる(明らかにする)」ことです。

「宇宙がそういうふうになっているのなら、しょうがないよね」と理解することであり、「諦観」とは、「諦めの観察」=「悟り」のことをいいます。

 

「人生、諦めが肝心」という言葉があります。
私もよく使いました。

「思い通りにならないこと」に対して、一応努力はしてみるものの、どうしても思い通りにならないので、諦めてしまう。仕事にしても、勉学にしても、子どもの教育にしても、、

実際、さまざまな場面で、早く諦めて次のステップに進む方が得策である場合はあります。
でも本書はこう続いていきます。

ただし、「思い通りにならない」と思い定めると、「思い通りにならない」ことを「我慢」しなければなりません。では「我慢」をしないでいい解決方法はないでしょうか?いいえ、あります。それが「東洋的な解決方法」の「その2」です。

「東洋的な解決方法」の2つ目は、

もともと思いを持たないこと

です。「思いを持っている人」が、「思いを手放せない」から、「思い通りにならないこと」が生じるわけです。

でも、「思いを持っていない人」は「思いを手放す」のですから、「思い通りにならないこと」は生じません。つまり、「解決すべき悩みや苦しみが存在しない=「ストレスはなくなる」という構造です。「思いがない」のだから、思い通りにならないこともない。だから、問題がなくなっていく。

泰然自若として騒がない、動かない山のように

(中略)

人生は、比べて、競って、争って、「何倍も何十倍も努力をして向上していく」ためにあるのではありません。

人は、努力目標が高ければ高いほど、「望ましいことである」と考えがちですが、そうではないでしょう。結局は、目標を掲げ、「自分の思い通りにしよう」とするからこそ、悩みや苦しみが生まれます。けれど思いがなければ、悩むことはありません。

人生の目的は、「よき仲間」とともに生きていくこと。すなわち、「喜ばれると嬉しいという本能」に目覚め、「喜ばれる存在になること」がすべてなのです。

 

③の「もともと思いを持たないこと」って
言葉では簡単ですが、そう簡単なことではありません。
でも、ここをマスターしたら、確かに「諦めの境地」のさらに上を行く悟りの世界です。
「無」とか「空(くう)」の世界。

以前、「感謝はすべてを肯定する」で私の部下だった人の娘さんが若くして骨肉腫で亡くなったお話しをしました。
彼女は抗がん剤治療も追いつかず、結局右腕を肩から切り落とさざるを得なかったのですが、右腕を失った直後、いろんな思いが沸いたということを本人から聞いたことがあります。

「なんで私が…」
「腕があったらいいのに…」と、
次から次へといろんな「思い」が沸いてくると。

その短い命でたくさんのことを教えてくれた

例えば、目の前にヨーグルトとそれを食べるためのスプーンがあるとします。
彼女はいつものように利き腕の右手を伸ばして食べようとするのですが、当然ながらスプーンは動かずテーブルにおかれたまま。
今まで十何年の間、肉体の一部として動いてくれていた右腕がある日突然なくなるわけですから、無理もありません。

でも彼女のすごいところは、それを受け入れ、感謝し、「なんで…」とか「たらいいのに…」という「思い」を持たないようにしたというのです。

そうなると、あとは前を向いて歩むようになります。
そう、「左手があるじゃないか」「両足もあるじゃないか」

もともと絵を描くのが好きだった彼女は、利き腕じゃない左手でも素晴らしい絵をたくさん描いていましたし、字もとっても上手にかけるようになっていました。

結局ガンは肺に転移しており、その短い命を閉じたのですが、彼女の死は本当に多くのことを教えてくれました。

最後にもう少し本書から引用してみます。

私たちは、小学校、中学校の教育において、「思いを持って、努力をして、頑張って、必死になって、今ないものを手に入れなさい」「自分の思い通りにすることが幸せである」と洗脳されてきました。

でも、お釈迦様の教えは、「受け入れること」。思いを持たないで、目の前に起こったことに対して「そうきましたか」と受け入れてしまう方がラクなんです。「この人をどうにかしたい」とか、「この状況から抜け出したい」とか「もっと実績を上げたい」と思うから苦しいのであって、丸ごと受け入れてしまえばいい。

自分の達成目標、努力目標を掲げ、それに向けて努力してもいい。けれど「努力する人生」「思い通りにする人生」を選んだ人は、「寂しい人」なのかもしれません。

自分で階段を駆け上がらなければ、人に評価してもらえないのかもしれません。外的なものを身につけていなければ、愛されないのかもしれません。

愛されたいなら、駆け上がらないで、「今、愛されたらいい」。
愛されたいなら、目の前の現象を「受け入れればいい」。
愛されたいなら、「自分から愛していけばいい」。
愛されたいなら、「喜ばれる存在」になればいい。
愛されたいなら、「頼まれやすい人」になればいい。

喜ばれるように生きていれば、いつの間にか「自分が喜ばせてもらえる」ような「よき仲間」に囲まれるようになるのです。

 

今日の投稿は、このブログでも取り上げてきた「目標を掲げる」とか、「優先順位をつける」などの記事とは逆説的な内容かもしれませんが、目標を立ててそれに向かって頑張ることがいけないと言っているわけでも、努力はするなと言っているわけでもありません。

実際に、さまざまな発明や技術革新、文明の発達の背後にはたくさんの先人たちの頑張りや努力の土台があります。

こういう価値観もあるということです。

また、二つの考え方をうまく合わせながら自然体で生きていくという方法もあります。

なにしろ、わたしにとっての、あるいは、あなたにとっての「良いとこ取りの人生哲学」なので、どんどん取り入れ、やってみて、良いとこだけを消化・吸収しながら少しずつ確立していけば良いと思うのです。

「思いを持たない」という生き方もけっこうラクですよ。
子どもに対しても、配偶者に対しても、職場でも、すべてをありのままを受け入れ、感謝する。
ただそれだけ。「自然体」哲学を極めるとこうなるのかな。。
とつぶやいてみる土曜の午後でした。


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6 thoughts on “ストレス:思いを持たないという生き方

  1. 自然体でいるというのは、幼い頃の主観でいられる自分、モーツァルトが流れているような心地よい時空にいるような感覚。。自分らしさを最大限に発揮できる人生。。
    目標をかがけているのではなく、5年先10年先の自分の姿を思い描いていたい。。
    未来を創り上げるのは今の自分だから、今という時間に集中して☆
    生まれる前から決められていること‥どの国に生まれ、どんな親で、男性か女性か‥。
    宇宙の存在があって、自分の命がある☆
    そんな宿命と言われるようなことは、さかわらず受け入れながら自分を生きていたいと思うこの頃デス♪

    1. kaokoxさん、詩のようなコメント、ありがとうございました。
      目標を掲げてそれに突き進むという人生もあり、
      5年先、10年先の自分の姿を描きながら未来を創り上げていくのもあり、
      たとえそれが宿命だとしても、人それぞれの人生だから、自分に合った生き方を、
      自分で見出し、受け入れていくところに人生の面白みがありますね。
      「自分を生きる」いい言葉です!

  2. さな兄さん、こんばんは。一日の終わりに気持ちが清水で洗われるようなお話しを聴かせていただいた心地です。ありがとうございました。
    「思いを貫く」「心の声に耳を傾けて」「自分の気持ちに嘘をつかない」と自分に言い続けた数十年でしたが(笑)あまりうまくいった試しがないんですよね、私の場合。
    で、方向変換して「温かい気持ちで開き直る」「優しい気持ちで見送る」「心に軽く蓋をする」「人間関係は追求しない」くらいが一番心地よかった気が。これってさな兄さんが教えてくださった「思いをもたない」に近いのかなぁと。
    生きているとショックなことや、人を傷つけたり傷つけられたりの連続だけれど、あるがままに優しい気持ちで眺めていると、「思い」とか「想い」が「感謝」に変化しますね。
    ううーん、いいこと再確認させてくださった☆。さな兄さん、感謝ですっ(^0^)。

    1. Rieko_Hさん、コメントありがとうございます。
      私も、実はRieko_Hさんと同じように、いつも少し力みがちで人生を歩んできたような気がします。
      目標を立てて、それに向かってまっしぐらに。。
      これはこれですごくいい生き方だし、私自身の底辺を引き上げてくれたのは事実です。
      でも、何が起ころうともすべての事象を受け入れながら自浄作用を働かせている大自然や宇宙のように、ただ沈黙し、ただ泰然としている。そんな生き方もありだし、いいなと思う今日この頃です。
      人間だからいろんな思いが沸いてくるのは当然だけど、一日の終わりに、心から「有り難き幸せ」って言える、そんな毎日にしたいなと思っています。

  3. お兄ちゃん。

    いま、お兄ちゃんのブログを新しい記事からもう一度たどってきたの。
    びっくりしちゃった。
    私のコメントへの答えが、お兄ちゃんの過去の記事にちゃんと載ってるんだもん。
    すごいねー。
    さすが兄さま。

    諦めるって、分かっていたようで分かってなかったのかも。
    この言葉から受ける意味だけじゃなくて、他にも深い意味があることに気づきました。
    これに気づけたのは、諦められない感情や不安を経験したからかな。
    前に、この記事を読ませてもらった時には分からなかったことが、今回分かったんだもの。

    お兄ちゃんは、とてもやさしい言葉で分かりやすくかいてくれる。
    だから、さらっと読むことができるけれど、
    とっても深い意味があって
    それを読む人が、気づけるヒントがいっぱいある。

    諦めることって、先ばかり見て今をおろそかにするんじゃなくて、今を充実させるっていう意味もあるんだね。
    思いを持たないことは、いろんな思いを受け入れることなんだね。

    ありがとう。
    ちょっと、気持ちが楽になりました。
    お兄ちゃんのブログは、あたたかいココアみたいな感じです。
    とても、あたたまりました。

    1. fuuちゃん、やっぱりすごいね。
      ちゃんと哲学的思考をしながらどんどん進化してる!!

      私の返信なんか必要ないくらい!
      っていうか、fuuちゃんのコメントで私も理解を深めることができました。
      ありがとう!!

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