受容:すべてを受け入れるということ

受容と決意:黎明の雲海!さぁ!新しいこと、はじめよー!

sanagi=自覚・受容・習慣・実行・成長・自立

以前の投稿「人生哲学:サナギ(sanagi)の意味」で書きましたが、イモムシがその時期を知って自らサナギになり、チョウへと生まれ変わるように、人も自分で自分を新しく生まれ変わらせることができるとしたらどうでしょう。

もちろん、羽が生えるくるわけでも、一瞬のうちにお金持ちになるわけでもありません。
早い話が、心の持ち方を自ら変えていくということです。

その、自分を新しくプロデュースするプロセスとして、「s・a・n・a・g・i」があります。

【自覚】s:self-awareness
【受容】a:acceptance
【習慣】n:new habits
【実行】a:action
【成長】g:growth
【自立】i:independence

【自覚】に関しては、以前の投稿「自覚:Have・Do・Beで夢探し」で簡単に説明したので、今回は【受容】について考察してみたいと思います。

マクスウェル・マルツ氏著『潜在意識が答えを知っている!』から少し引用してみます。

潜在意識が答えを知っている!

自己イメージを変えることと、自己を変えることは違う。

自己イメージを変えることは、自分自身のメンタル・イメージ、つまり自己についての評価や考えや認識を変えることだ。適切でリアルな自己イメージは驚くべき結果を生み出すが、それは自分を変容させることによってでなく、自分を認識し、自分を発露することによってもたらされる。

現在のあなたの自己は、これまでずっとそうで、これからもそのままだ。あなたがそれを生み出したわけでないし、変えられるわけでもない。しかし、そのことを認識し、真の自己に対するメンタル・イメージを手に入れて、自分に備わっているものを認識し、真の自己に対するメンタル・イメージを手に入れて、自分に備わっているものを最大限に活用することはできる。大物になろうと必死になってもだめだ。あなたは、いまのままでしかないのだから。

多くの人は、本人が考えているよりも素晴らしく賢く、強く、才能がある。より良い自己イメージを創造することは、才能やパワーを新たに創造することではない。それらを解き放って、利用することなのである。

人は自分の人格を変えることはできても、基本的な自己は変えられない。

人格は、私たちが世界とかかわる際に使う自己のツールであり、表現の場であり、核心である。それは、私たちの習慣や態度、身につけた技能の総体であり、人はそれを使って自分を表現している。

自分を受け入れるとは、長所だけでなく、短所や過ちもすべて、あるがままに受け入れることだ。ネガティブな要素は自分の属性であって、自分そのものではないとわかれば、自分を受け入れるのはやさしくなる。自分を健全に受け入れたがらない人が多いのは、自分と自分の誤りを同一視しようとするからだ。

誤りを犯したとしても、それであなたが「誤りそのもの」になるわけではない。自分をうまく表現できなくても、あなた自身が「だめだ」ということにはならない。私たちは、誤りや短所を修正する前に、まずそれらを認めなければならない。

 

自分がどんな夢を持っているか、どんな人間でいたいのか、そして、今現在どういう人間なのかを自覚したあとは、そのすべてを受け入れる、つまり受容することが大切です。

自分の長所ばかりでなく、欠点や過去の過ち、習慣、人間関係、などすべてを受容するのです。
そしてはじめて自分の中にあるものすべてを発揮していくことができるのです。

もう少し同書から引用してみますと、

すべてを受け入れ、感謝したときに、全く新しい自分が生まれ始める

現実の自己は、一生を通じて理想の目標に向かって突き進んでいるが、そこに到達することはない。現実の自己は不変のものではなく、流動的なものなのだ。完成や終わりはなく、常に成長の途上にある。

大切なのは、私たちにはそれ以外に手段がないので、この現実の自己をいくら不完全であっても受け入れるということだ。

自分の短所を理性で認めることは必要だが、その短所ゆえに自分を憎むと悲惨なことになる。あなたの自己とあなたの行動を区別すること。誤りを犯したり軌道から逸れたりしたからといって、あなた自身がだめなわけでも価値がないわけでもない。コンピュータが誤作動したり、ヴァイオリンが調子はずれの音を出したりしたからといって、それで価値がなくなるわけではない。

完璧でないからといって自分を憎んではいけない。不完全な人はたくさんいる。完璧な人はこの世にいないし、完璧なふりをしようとしても惨めになってしまうだけである。

 

さて、たとえ不完全であろうとも、あるがままの自分を受容することが大切だということはわかりました。
でも、それだけではなく、すべてを受け入れたあと、さらに感謝することがとても重要なのです。

なので、「s・a・n・a・g・i」の[a]は、
【受容】acceptanceの[a]でもあり、
【感謝】appreciationの[a]でもあるのです。

(1)我に感謝
 私自身がこの世に生み落とされたこと、自分の長所も短所もすべて感謝

(2)人に感謝
 親に感謝、家族に感謝、先祖に感謝、係わるすべての人に感謝

(3)物に感謝
 私を取り巻く環境、宇宙、建物、動物、植物、昆虫、食物、すべてに感謝

(4)事に感謝
 良いこと悪いこと、日々起こる様々な出来事に感謝

(5)時に感謝
 過去に感謝、今現在に感謝、そして、訪れるであろう希望の未来に感謝

我、人、物、事、時、すべてを自覚、受容し、さらに感謝することではじめて、真っ白い設計図が用意でき、そこに全く新しい理想の自分像を描いていけるようになるのです。


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3 thoughts on “受容:すべてを受け入れるということ

  1. sanagi さんの人生哲学を読む度毎に、自分の人生を見つめ直す機会をもらつています。ともすれば日頃の生活にに流されてしまい、自分と向き合う時間がないことに気がつきます。そんな時にsanagi さんのブログを読ませていただくと、多くの共感できる事、そんなふうにも考える事ができる事、もっと考えなくてはいけない事等々,とてもたくさんの新しい思いに出会います。 自分のこれからの人生をどう生きるか、家族との関わり会い方や自分の仕事、そして自分が生きてきた証をどう残していくかなど、多くの事をsanagi さんと少しづつ、ゆっくりと語り合いたいですね。

    1. yuhkotoさん、ブログを読んで下さってありがとうございます。
      いつもツイッターではお世話になっております。
      「自分が生きた証」をどう残していくか!私もその言葉をいつも心に刻みながら歩むようにしています。
      ブログの内容は、すべてが自分に言い聞かせるようにして書いています。
      本当に、yuhkotoさんとは、ゆっくりと語り合いたいですね。

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