新緑がまぶしい季節になってきました。自宅のすぐ裏山からうぐいすの鳴き声が聞こえてきます。
さて、昨日、あるニュースが大きく取り上げられていました。
イギリスで、来月6日に行われる総選挙のため遊説中のブラウン首相が、有権者と対話した直後、移動の車中でその女性をののしる音声がテレビで放映され、大きな騒ぎとなったのです。
マスコミの煽り方もどうかとは思いますが、女性や視聴者には誠意ある対応をアピールしながら、その女性と別れた直後の「偏屈女」呼ばわりは、唖然とするばかりでした。
そののち、謝罪するために女性宅を訪れましたが、いくら謝罪したとしても、その女性と有権者の信頼を取り戻すには時間がかかることでしょう。
その映像[YouTube]
私たちが生活していく上で、周囲の人と深い信頼関係を気付いていくことはとっても重要なことです。
それは個人に留まらず、家庭や会社、国家に至るまで、ある関係性が生じるところでは必ず大きな土台としての「信頼関係」が大切です。
このブログでよく引用する『7つの習慣』では、「信頼残高」という表現で、とても明確にそれを教えてくれています。
以下、引用してみます。
銀行口座がどういうものであるかは、誰でも知っているだろう。口座にお金を預け入れることで貯えができ、必要に応じてそこから引き出すことができる。それと同じように、信頼口座つまり信頼残高とは、ある関係において築かれた信頼のレベルを表わす比喩表現であり、言い換えれば、その人に接する安心感ともいえるだろう。
礼儀正しい行動、親切、正直、約束を守るなどの行動を通して相手との信頼残高(信頼の積み重ね)をふやしていけば、そこに貯えができる。残高を高めることによって、必要とあらば、その信頼を何度でも頼りにすることができる。些細な間違いを犯しても、信頼の貯えが多くあれば、信頼のレベルや精神的な貯えがそれを補ってくれる。こちらのコミュニケーションが多少不明瞭でも、こちらの言いたいことを汲み取ってくれるだろうし、言葉ひとつで気を悪くするようなこともないだろう。信頼残高が高ければ、コミュニケーションは簡単で、効果的で、即時にできるものである。
たとえば友人との約束で、どうしても時間に間に合わない事態に陥ったとき、それまでに信頼残高が充分積まれていたら、「きっと何かあったに違いない」と理解してくれるだろうし、逆に心配してくれるかも知れません。でも逆に、ふだんから私が遅刻の常習犯で、いつも裏切ってばかりいると、遅かれ早かれその友人は私の元から去っていくでしょう。
信頼残高に関して、もう少し『7つの習慣』から引用してみましょう。
私が、あなたとの間に良い関係を築こうと思い、誰かに打ち明けられた秘密をあなたに漏らしたとしたらどうだろうか。「本当は秘密なんだけど、君だから……」と言ったら、あなたはどう感じるだろうか。秘密を打ち明けてくれた人の信頼を裏切ることで、私はあなたとの信頼残高を増やせるだろうか。むしろ、自分の秘密までも、誰かに漏らされるのではないかとあなたは心配になるだろう。こうした二面性に満ちた行為は、一見したところ相手への信頼残高の預け入れのように感じるかも知れないが、実際は自分の誠実さのなさを相手に伝えているだけであり、引き出しなのである。人を批判したり秘密を漏らしたりすることにより、一時的な満足感という「黄金の卵」を一度は手に入れることができる。しかし、それは「ガチョウ」を殺す行為であり、お互いの関係を弱くし、継続的な関係によって得られるはずの満足感や効果性を犠牲にしてしまうことになる。
相互依存状態において誠実さとは、簡単に言ってしまえば、すべての人々に対して平等に同じ原則に沿って接することである。それを続けることで、人々はあなたを信頼するようになる。誠実さゆえに衝突や摩擦が起こることもあるだろう。最初はそれに反発する人もいるだろう。相手に対して正直にぶつかることは、大変勇気のいることである。そのために多くの人々は最も抵抗の少ない道を選び、人の陰口を言い、秘密を漏らし、他人の噂話に興じる。しかし、長期においては、正直かつオープンに人に接することの方が、人から信頼され、尊敬されるようになる。相手と対立するだけ相手のことを思っているということである。信頼されることは、愛されることよりも偉大である。そして長期においては、信頼されれば愛されるようになると、私は確信している。
全ての人に対して平等に接するということは、そう簡単なことではありませんが、自分自身の中に軸(原則)をしっかり持っている人は、誰に対しても誠実であり、人によってその対応や接し方を変えたりしないものです。
また、「信頼残高」は他人との関係においてばかりではなく、実は自分自身に対する信頼残高つまり「自己信頼残高」を忘れてはならないのです。
自分が正しいと思うことでも実行できない。
自分でやろうと決断したことを自ら破ってしまう。
など、自己嫌悪に陥ってしまう状態は、信頼残高がマイナスになっている状態かも知れません。
「誠実という言葉と私の軸」で書きましたが、私の価値観の一つとして「誠実」という言葉があります。
人に対して誠実である前にまず自分に対して誠実であれ!
この言葉は毎朝お経のように唱えている言葉の一つです。
小さな約束でも自分自身に約束をし、それを守ることによって、自己信頼残高には少しずつ貯金がたまり、その分、自信や誇りとなって私自身を強くしてくれます。
さてここで、「自己信頼残高」を増やすために自分に厳しすぎると、その反動が来ます。
当の私が経験者なので、よーくわかります。
自己嫌悪に陥り、何も手に着かなくなってしまったりするものです。
『カラーパープル』という作品でピューリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカー(米国)が次のように言っています。
自分でこう決めたから!といって、明日からそれを完璧にこなしていくことができる人などそうはいません。
できなかったことで、その失敗からまた学習することもままあるものです。
なので、自分自身にも優しい目で接しながらその失敗を許し、それをまた教訓として少しずつでも貯金を殖やすようにすれば良いわけです。
と、いつものごとく私自身に言い聞かせつつ、山の木々を見つめながら自然の偉大さに感服するゴールデンウィークの一日でした。