昨日も今日も東京は冷たい雨。
普段自転車通勤の私は、仕方なく電車で出勤。
満員電車ではよく見る光景。
ギュウギュウ詰めにもかかわらず、ちょっと揺れて倒れかかっただけで、必要以上にひじで突き返してくるスーツ姿のおじさん。
また別のところでは、何の曲を聴いてるかがわかるくらい大きな音でヘッドホンからシャカシャカと鳴らす茶髪のにいちゃん。
周りの人は怪訝そうな顔。
ただでさえ、満員電車という正常とは言い難い状況の中で、エゴむき出しの人たち。
私も、まだ若い頃は、そういう状況を見ると、怒ったり注意したりしてましたが、今はよほどでない限り、優しく見守ることにしています。
「この人たちは、どこかで悪い波動を受けてしまったんだ!」と。
例えば、ひじで突き返してくるおじさんは、朝出がけに奥さんとけんかしてきたのかも知れない。
あるいは、年頃の娘に毛嫌いされたのかも知れない。
大音量のにいちゃんは、ついさっき彼女にふられたばかりなのかも知れない。
そんな風に勝手に思い込んでみると、不思議と気持ちが穏やかになります。
と同時に、そのいやな波動は、私で止まります。
もし、これが逆だったらどうでしょう!
その悪い波動をそのまま受けてしまい、イライラしながら職場に行くことでしょう。
いつもなら普通にスルーすることなのに、部下や同僚のちょっとした出来事に対して、いやみな一言を言ってしまうかも知れません。
その同僚たちもまたいやな気持ちで仕事をしなければならない。
そのいやな思いは、お客からのクレーム処理の電話で、ついにはキレてしまうかも知れません。
このように、善きにつけ悪しきにつけ、思いは態度や言葉となって波紋のように広がっていきます。
今から10年ほど前、ある映画が大ヒットしました。
その題名は、『ペイフォワード 可能の王国』(原題:Pay it forward)
ご覧になった方も多いと思います。
主人公は中学一年生のトレバー。
ある日、担任の先生が、社会科の授業で生徒に問いかけました。
その質問が、
「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」
これに対して、トレバーが考えた方法は、
「自分が受けた思いやりや善意を、その相手に返すのではなく、別の三人に渡す」というものでした。
トレバーは善意を渡す相手を探し、それを実行します。
最初は失敗したと思いましたが、テレビで取材されるほど、波紋のように広がっていったのです。
詳しいストーリーは省略するとして、心からの思いやりや、善意というものは、人を幸せにします。
それをそのまま、もらった人に返すのではなく、別の三人に渡していくというルールがあるところがミソです。
実は、日本にも似たような言葉があります。
「恩送り」とか「情けは人の為ならず」という言葉です。
ちなみに、
「情けは人の為ならず」とは、
「情けは人のためにはならない」という意味ではなく、
「情け(親切)は人のためというより、最終的には自分のためなのである」ということで、
人に親切なことをすることは、巡り巡って、いずれまた自分のところにかえってくるという話です。
このように、思いやりや善意を受けて、気分が悪いはずがありません。
その気持ちがどんどん、周りの人に伝播していくことにより、本当に世界を変えることができるかもしれません。
その起点となるのがやはり朝、しかも家庭。
朝、出かける夫や妻に対して、
あるいは、学校に向かう子供に対して、
笑顔で送り出し、笑顔で出かけていく。
一日の始まりに、善い波動を受けて出発するのとしないのとでは、大違いです。
小さな一しずくの笑顔、善意、思いやりかも知れませんが、その波紋は大きく伝播して行くに違いありません。