久しぶりのブログ更新となりました。
時は移り変わり、桜が舞い散る季節。
様々な別れと出会いが交錯する春。
ある者は行き、ある者は残る。
そんな季節ですね〜。
と同時に、
春眠暁を覚えず!な季節でもありますが、歳を重ねたせいか、最近では季節関係なく朝はパチリと目覚めます。
そして毎朝、起きたてにやっている習慣があります。
瞑想です。
瞑想する時に、頭の中を無にするってけっこう難しいので、そういう時は私なりにあるテーマを決めて思いを巡らせています。
呼吸に意識を向け、何かの粉末が水に沈殿していくように、心を深〜く鎮めながら考えます。
今朝のテーマは「欲」
「欲」=「谷」+「欠」
漢字って象徴的で面白いですよね。
谷のように欠ける
谷が欠ける=山ばかり
心の中に、谷のようにえぐり取られた空虚な箇所があり、そこを満たしたいという想いが「欲」となる。そんな感じでしょうか。
「欲」といっても、本能的なものから社会的なレベルまで色々ありますが、その言葉だけ見ると、ちょっとマイナス的なイメージがあります。
でも、人から「欲」をとってしまったら、生きていくことはできません。
人に欲があるから、生きることができ、向上心が生まれ、人として成長し、道路もでき、スマートフォンも世に出され、文明も発展していくのです。
製紙王といわれた三井財閥の中心的存在の一人、王子製紙初代社長の藤原銀次郎氏の名言があります。
欲の出しすぎはよろしくないが、欲のなさすぎも困りものです。
欲がないのは大変きれいに聞こえますが、その実、骨を折ることが嫌い、精を出すのが嫌いで、つまり、人間が怠け者の証拠です。
「意欲」という言葉がまさにこの言葉を理解するキーワードですね。
たまに、「人生山あり谷あり」という表現を聞きます。
人という生き物は、いつも幸せで好調な山の状態が続くことを欲します。
「幸福」な状態が続くと、それがいつまでも続いて欲しいと願うのは当然です。
ただ、「幸福」だと感じるのは、幸福でない時があるから。
山と谷は光と影のようなもので、どちらかしか存在しないということはあり得ません。
光が当たるから影ができ、山があるということは同時に谷も存在します。
山は谷によって彫刻されます。
その谷が深ければ深いほど、山はキリリとそびえ立つというわけです。
「自分の人生は谷ばかりだなぁ」とため息ばかりついてうつむいているうちは気付かないけど、勇気を出して顔を上げてみると、とても素敵な山川草木の風景が広がっているかもしれませんね。
どうせだったら、美しい大自然の人生を作り上げていきたいものです。
7ヶ月ぶりの更新ですが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
実は二週間ほど前に、中学2年生になる次女からメールが来たのです。
多分、他の人も楽しみにしてると思うよ♪
なおも新しく更新したら絶対に見るね!!
(なお:次女の名)
ゆるゆるっと更新していきますので、今後もよろしかったらお付き合いください♪
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