3月11日は歴史に残る日となりました。
3月11日14時46分、金曜日なので私は普通に東京のオフィスでで業務をしていました。
お、揺れてる。
ん、長いぞ!
そのうちミシミシ音を立てて、揺れはさらに大きくなり、オフィスにある食器棚を押さえ、職員にPCの電源を落とさせたり、窓を開けてもらったり。。
しばらくするとPCのディスプレイが倒れ、天井にぶら下がっていたプレゼン用のロールスクリーンやパーティションのガラスパネルが落下。
倉庫の段ボールも総崩れ。。
外では電信柱や看板がぐわんぐわんと揺れて、あちこちで人々の声が。。
私自身、阪神大震災の時は留学中だったので、ここまで大きな地震ははじめての経験でした。
そこから、非日常の始まりです。
ここでこんなに揺れたのだから震源地はもっとすごいはず。
TVをつけるよりも何よりも最初に目がいったのがTwitterでした。
揺れはじめた直後から地震に関するつぶやきが激増。
そのうち、具体的な地震情報も。
この時点で、携帯電話は不通。
携帯メールも全く。。
オフィスの電話も地震の30分後くらいから不通。
仕事にならないし、家族とも連絡がつきません。
ここで役に立ったのがやはり普通のメールやTwitter、FaceBook、skypeなどでした。
JR、地下鉄、各電車も全線ストップ。
徒歩で帰るか、オフィスか近所の宿泊施設を探して泊まるか。
オフィスには子どもと連絡が取れない女性もいたために、業務はいつもより早く切り上げて早めに帰ってもらいました。
まだ余震の恐れがあったので、倒れそうなものは横たえて、全員が退社した後、私も最後にオフィスをあとに。
途中、近くでTwitterのフォロワーさん2人と合流。
待ち合わせた百貨店は営業停止状態で、帰宅難民(電車が動かず帰宅できない人々)の待機場所と化していました。
その後、途中で休みながらも4時間ほどかけて徒歩で帰るのですが、幹線道路は大渋滞。
歩道も私たちと同じように徒歩で帰宅する人々で、軍隊アリの行列のような状況。
その夜の東京は特に冷え込み、空気が澄んでいて、綺麗な三日月に見守られながらの集団下校って感じでした。
そんなこんなで、てくてく歩きながら、全国のTwitter仲間たちと励まし合ったり、今回の地震のすごさがどんどん情報として入ってきました。
みんなのつぶやきを見ながら、このような大きな自然災害の前に、人間は無力だなぁと感じながらも、こんな時にこそ、人間の本質が見えてくるとも思いました。
まだ会ったこともないような人から
「頑張って」
「どうぞご無事で」
「温かくしてくださいね」
という涙がちょちょぎれるようなメッセージが続々と届くのです。
やっとのことで帰り着いて、テレビをつけてみれば、悲惨な状況ばかりが目につきましたが、感動的な話もたくさんあったようです。
Twitterからいくつか引用してみます。
(参照:【元気の出るつぶやきを集めます。】[日本がんがれ!] )
国連のコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。今回は国連が全力で日本を援助する」――世界中がエールを送ってくれている。世界中が、僕ら一人ひとりの命を大切に思ってくれている。僕らは僕らで、頑張ろう。いま、自分にできることを。
— 乙武洋匡 (@h_ototake) March 12, 2011
http://twitter.com/rabukj8/statuses/46392080842506240
http://twitter.com/VietL/status/46376383592677376
http://twitter.com/Raaaaayuu/statuses/46392890313801728
http://twitter.com/nekoshima83/status/46635888704360448
ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった
— 原雄司 ExtraBoldの代表です (@unosuke) March 12, 2011
地震のあった夜、帰り道あまりにも寒く、iPhoneの充電もなくなってきたので、通り道のレストランに入ってみたのですが、入り口のメニュー立てのところに「トイレだけでもお使いください」って張り紙がしてありました。
また別のお店では、店員さんに、「充電させてもらってもいいですか?」って尋ねたら、「大変ですね!どうぞどうぞ」って親身になって言われたときにはじーんと来ました。
またTwitterやInstagramというSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)には全世界からたくさんの応援メッセージやフォトが届いています。
(参照:【世界から届いた日本への祈り】[prayforjapan] )
まだまだ余震は続いており、特に震源地に近い東北地方は、今の時点で復旧の目処が立っていない状況です。
福島原子力発電所の事故も気になります。
今回、亡くなられた方には、心からご冥福をお祈りいたします。
そして、行方不明の方は、どうぞご無事でいらっしゃいますように。
未だ家族や友人と連絡が取れないという方もいらっしゃると思います。
実際、私も仙台の知人とはまだ連絡が取れていない状況です。
「私たちにできること」
を考えながら、また小さなことでも実行しながら、一分一秒を大切にしていきたいなと思うのです。
死の恐怖を味わったとき、
あるいは、人生の転換期、
はたまた、ちょっとした人間関係の問題などで、
私たち人間にとって、
「何が本当に大切なのか!」
「何を軸として生きていくべきなのか!」
という本質的な部分が見えてきたりします。
また、表面的なところだけ見ていると、その本質が見えないときが多々あります。
最後に『7つの習慣』からあるエピソードを引用します。
ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目をとじて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。
そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちが騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。
私はいらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちがみなさんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」と言ってみた。
彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声で、こう返事した。
「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が……、あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいどうすればいいのか……。子供たちも錯乱しているみたいで……」
その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
一瞬にして、すべてが変わった。
実際、私も地震のあった日の帰り道、行列に強引につっこんできた車にイラッとしたのも事実です。
でも、後から考えると、その人にも生死を分けるような出来事が起こっていたのかも知れません。
こういう時だからこそ、本質を見る冷静さと、大きな耳、小さな口、優しい目をもつ、愛ある温かさが必要だなと感じたのでした。
単身赴任中の私としては、途中何回も田舎の実家に電話をしたけど繋がらず、自分の部屋に辿り着いた夜10時頃、やっとのことで田舎の家族とSkypeでビデオ通話ができ、ホッと一息。
とても長い一日でしたが、明らかに人生観や価値観がヴァージョンアップしたような気がしたのでした。
これからも、日本のために、世界のために、地球のために、私なりに何かできることを考えていきたいと思っています。
今回も、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
さな爺さん、ご家族ともご無事で何より。私も地震直後、iPhone経由で普通のE-mailで家族と連絡が取れた事が一番の安心でした。私は同じ方面のクルマ通勤の方に乗せてもらって帰宅したのですが、車内でみるテレビよりもツイッターの情報量の多さにびっくり。ソースのわかる情報に関しては信用できるので、案外ツイッターは災害後のデマを防ぐツールとして優れているのかも。
けんたろさん、コメントありがとうございます。
仕事中の妻はガラケーのSMSしかダメで、地震直後、PCメールには入れたのですが、Macも夜しか開ける時間がなく、結局は私が部屋に帰り着いてからやっと通じたという感じです。
Twitterはそれぞれがリアルタイムに現場の状況を伝える記者であったり、ネットや書籍などの膨大な情報の中から的確な情報をつまんで教えてくれるオンラインヘルプだったりしますよね。
一方通行のテレビはそれはそれなりに有用ですが、今回の震災のような刻一刻と状況が変わる出来事にはTwitterが役に立ちますね。
デマも流れたりはするけど、それもまた自然淘汰されたり叩かれたりしていくので、とっても優れたツールだと言うことがよく分かりました。
私達が見えていることというのは、本当にそこにその人に起きていることの一部でしかないのでしょう。。
そこに起きていることに心が反応するのではなく、いつも自分の心の深いところで考えながら起きていることを見ていれば臨機応変に表現することも適材適所に現れてくるのでしょう。
もうひとつ深い心を持っていたいものです。
かおるさん、今回は色々大変でしたね。
そんな中、コメント、ありがとうございます。
いやー、今日も深いですねー!
ほんと、インセプションの世界。
本当におっしゃるとおり、見えているところは、その人の現在の一部分ですね。
その表面的なところだけを見て反応していると、奥深くにある本質が見えなくなってしまいますよね。
その出来事や人の本質を想像することはできますが、結局は、コミュニケーションによって、その本質を見極めていくという作業が必要なのではないかと思います。
そういうプロセスで、かおるさんのおっしゃる「もうひとつ深い心」を持つことができるのかなと。
いずれにせよ今回の地震は様々なことを深く考えさせられています。
仙台のお知り合いの安否が確認できますように。
私も仙台の兄の状況がわからず、Googleのリアルタイム検索でTwitterの情報を集めていました。
仙台市青葉区の状況はテレビでも放送されず、心配していましたが、徐々に停電から復帰したようで、
Twitterで仙台市青葉区の情報が流れてきました。その頃に電話をしてみるとやっと兄につながって。。。
わたるさん、コメント、ありがとうございます。
今回は、お兄さんご家族と連絡が取れて、本当に一安心でしたね。
やはり停電だとどうしようもないんですね。
仙台の知人に関しては、まだ肉声は聞いてないのですが、先ほどやっと携帯の呼び出し音がなったので、一安心しているところです。
(それまでは電源が切れている状態のアナウンスしか出なかった)
今回の震災では、
生きること、地球、自然、つながり、、
本当に色々考えさせられます。
被災した地域の一日でも早い復興を祈りながら、私にできることをなしていきたいと思います。
さな兄さん、こんばんは。
直接甚大な被害を受けていない私たちこそ今、試されているかのようですね。
批判や苛立ちを表すことは簡単ですよね。
さな兄さんがおっしゃるように、本質を見る冷静さと、大きな耳、小さな口、優しい目をもつ、愛ある温かさを意識したいです。
いつもありがとうございます(^^)
リエさん、こんばんは。
今回の震災は、日本のみならず、世界に向けて、生きることの意味、平和、地球のことなど、様々なことを考える機会を与えてくれているような気がします。
それを試練というのでしょうね。
津波によっていとも簡単に流されていく家屋や車などを見るにつけ、やはり大切なことは、お金や物質、地位など、表面的なことではなく、もっと本質的なところにあるということを知らしめてくれていますよね。
一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
こちらこそ、いつもありがとうございます^^