身近な人の死に出会うと、色々なことを考えさせられます。
その人とのコミュニケーションはもう二度とできなくなるわけで・・・
この年になって、
「死んだら魂ってどこに行っちゃうんだろう?」とか、
「生きるって何だろう?」「死ぬって何だろう?」
「親にとって自分はどういう子供だっただろう?」
「妻にとって自分はどういう夫だっただろう?」
「子供にとって自分は・・・」
って真剣に考えてしまいました。
私の最愛の叔父は、父の弟で、叔父との交流は物心ついた頃からつい最近までに至ります。
が、、、
その叔父が何の前触れもなく、一週間ほど前に突然逝ってしまいました。
葬儀などの一連の行事を終え、やっとその実感が少しずつわいてきたのと同時に、気がついてみると、私も含めてその葬儀に参列した人々の叔父に対する賞賛の言葉たちは、その人のスキルやどれだけ金を儲けたかなどではなく、「どう生きたか!」というものでした。
人が死んだら、その人の価値は「人格」や「人柄」でしか評価されないということを実感したここ一週間ほどの期間でした。
「で、、私自身はどう生きるか?」
そこで、思い出したのが、スティーブン・R・コヴィーさんの『7つの習慣』の言葉でした。
-以下、引用-
愛する人の葬儀に参列する場面を心の中に思い描いてほしい。あなたは、会場に向かって車を走らせ、駐車して、車から降りる。そして、会場に入ると、花が飾ってあり、あなたは静寂な雰囲気に包まれる。その場に集まっている人々からは、別れの悲しみがにじみ出ているのと同時に、故人と知り合いになれた喜びが感じられる。
あなたは、会場の前の方に進み、そこに飾ってある写真を見る。すると、なんとそこにはあなた自身の顔が飾られている。これは、今日から三年後に執り行なわれるあなた自身の葬儀なのだ。集まっている人々はあなたに対する尊敬、愛、感謝の意を表わしに来ているのである。あなたは、席に着き、式次第を見る。四人の人が弔辞を述べることになっている。最初に家族や親戚の代表として、全国から集まっている子供、兄弟、両親、祖父母、おじ・おば、いとこなどの内からひとり。次は友人のひとりで、あなたの人柄をよく知っている人。三番目は仕事関係の人で、四番目はコミュニティー、自治会、サークルなど、あなたが奉仕活動を行ってきたところからのひとりである。
ここで深く考えてみてほしい。集まってくれたそれぞれの人たちから、あなたの人生について、何と言ってほしいだろうか。彼らの言葉をもって、あなたはどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいのか。どういう息子、娘、いとこだったのか。どういう友達だったのか。どういう仕事の同僚だったと言ってほしいのだろうか。
あなたは、皆に自分の人格のどういうところを見てほしかったのか。どういう貢献や業績を覚えていてほしいのか。その場に集まっている人、それぞれの顔をよく見てもらいたい。彼らの人生にあなたはどういう影響を及ぼしたかったのだろうか。
『7つの習慣』は、私の人生に大きな影響を与えた書籍の一冊です。
「どう生きるか!」
「どうあるべきか!」
チョウとして羽ばたく前に「自分自身の価値観をはっきりさせなきゃ!」と痛切に思うのでした。