高校三年の時、ある授業で、「10年後の自分」という題目で、一人ひとりが発表する時間がありました。
私は当時、海外に憧れていたので、「世界を股にかけて飛び回ってるだろう」って発表したのを覚えています。
実際、それから10年後の28歳の頃は結婚したばかりで、貿易商社に勤務しており、アメリカ、カナダ、中国、香港、ベトナム、韓国とアジアを中心にあちこち飛び回っていました。
その頃は新婚というのに一ヶ月の半分は海外に出ていました。
その海外経験の原点になるのが、アメリカ留学時代。
大学卒業時、普通に就職するなんて考えは毛頭なく、私の周辺の状況からも日本を飛び出したくて、単身、渡米しました。
当時、「アメリカ」と言えば「自由」、「自由」といえば、なぜか「ラスベガス」という文字が浮かび、日系の友人を頼ってラスベガスに向かいました。
人にこの話をすると、まず返ってくる言葉が、「なんでラスベガス?」って笑われたり、不思議がられたり。。
でも、砂漠の真ん中にできた巨大エンターテイメント都市は、好奇心旺盛な若者にとっては、とても刺激的でした。
世界中の富豪が集まり、24時間眠らない都市。
昼間は、30分外にいるだけでひからびてくるくらい照りつける太陽。
夜は夜で、一晩中消えることのないネオンサイン。
確かに後になって、自分でも可笑しくなるくらい、留学には適してない場所でした。
(ちなみに、まじめだったのでしょう。その時はカジノは一切しませんでした)
そして、このままラスベガスにいてもダメだ!と気づいたのが、留学開始1ヶ月後。
意を決して結局ロサンゼルスに移動しました。
ビザはI-20(アイ・トゥウェンティ)という学生ビザだったので、語学学校にはまじめに通いました。
その学校は、ロサンゼルスのダウンタウンから車で40分くらいのところにある小さな学校でした。
第二言語としての英語を教えるところだったので、生徒は、日本で生まれ育って、英語が上手く話せないアメリカ人、日系アメリカ人、メキシコ人、韓国人、日本人、中国人など。
その時、学校で知り合った人たちと会話する中で、色々感じることがありました。
一番印象に残った単語は「アイデンティティ」
特に、父母の出身国が違う人や、故郷は外国だけど両親はアメリカ人という人たちは「アイデンティティ」を確立するために必死になって心の中で葛藤していました。
自分は何人か?
本当の自分の故郷はどこなのか?
アメリカ人なのに英語をしゃべれないように育てた親を恨む!
など、私のように両親ともに日本人で、日本で生まれ育った者にとってはそのような悩みはとっても興味深いでした。
この「アイデンティティ(Identity)」という単語は、極めて心理学的な用語で、
大辞林には、
本人であること、同一人[物]であること、身元、正体、個性、独自性、主体性、自己、自分らしさ
とあります。
そんな様々な国籍や事情を持つ友人と話をする中で、私自身も「アイデンティティ」を探すようになりました。
まさに「自分探し」ってやつです。
「人間は二度生まれる」でも触れましたが、人は自分の意志とは無関係に、生み落とされたときの環境や言語、民族、国、ましてや親を自分で選ぶことができません。
なので、生きていくためには、まずその親や環境、文化に適応していくようになっています。
その課程で自我に目覚め、アイデンティティを確立していくのですが、家庭事情や環境が複雑であればあるほど、真剣に悩み、哲学しながら身もだえするようにして、自覚するというプロセスをたどっていきます。
私はその時、その友人たちにつられて、生まれて初めてといっていいくらい、真剣に悩んでみました。
青春時代によく悩む、いわゆる人生の三大疑問といわれるものです。
(「良いとこ取りの人生哲学とは・・・」参照)
私はどこから来たのか?(過去)
私は何のために生きるのか?(現在)
私は死んだらどうなるのか?(未来)
中村天風著『運命を拓く』より
「我、いずこよりきたり、いずこに行かんとす。何のためにこの現象世界に人間として、生まれ来しや」
大学卒業後、普通に就職していたら、よほどの挫折を味わわない限り、このようなことを考えるきっかけはなかったかもしれません。
結局、それぞれの問いに対する明確な答えというのは、そう簡単にゲットできるものではありませんが、真剣に悩み、哲学するというそのプロセスが重要だと思います。
その時は、自分のミッションは何か?というところで、絞って考えながら、「自分が世の中に貢献できること」を一生懸命探したのを覚えています。
今から思えば、このような哲学的思考は、大学進学の前、つまり高校時代くらいにどんどんしたらいいのではないかと思います。
今、中二になる長女がいますが、そろそろ結婚のこと、人生のことについて話せる年齢になってきました。
昨日も、将来どんな結婚をしていくのか、という話題で盛り上がりましたが、このような親子の会話の中で、アイデンティティを確立していくヒントを与えてあげられたらいいなと感じます。
さて、留学時代の話はグランドキャニオンを見て人生観が変わった話、サンフランシスコでの出来事など、まだまだたくさんありますが、また次の機会に譲ることにします。
いずれにせよ、留学という出来事は、それまでいた自分のテリトリーを飛び出して、外から自分の置かれていた環境を客観的に眺めることによって見えてくるものがたくさんあったので、本当にありがたい期間でした。
できるならば子どもたちにも留学をさせてやり、たくさんの文化や民族、思考方式に触れさせてやり、アイデンティティの確立に役立たせてやりたいなと感じている今日この頃です。