いよいよ今日からバンクーバー冬期オリンピックが始まりました!
さらに寝不足の日々が続きそう・・・
ところで、話はがらっと変わりますが、
小学生の頃(70年代)、
ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンかぁ♪
ニ、ニ、ニーチェかサルトルかぁ〜
み〜んな悩んで大きくなったぁ♪
なんていうウィスキーのCM(YouTube 2番も)がありました。
当時は、ソクラテスが誰でニーチェが誰なのかなんて知るはずもなく、ただリズムが良いからよく友達とコップやジュース片手に歌って遊んでいたものです。
その後、思春期を迎え、さまざまなことに悩みはしましたが、哲学書だけには手を出しませんでした。
そうこうしているうちに、自分の子どもたちが思春期を迎え始めたのです。
やはりここは、
ブログ自体が「良いとこ取りの人生哲学」というタイトルなんだし、
親として子供たちに「人生のなんたるか」を説くときに、ソクラテスやニーチェぐらいは知っておかないといかんだろう!と思っていたところ、
日頃よく立ち寄る近くの本屋さんで、平積みされたコーナーに、真っ黒い表紙にシルバーの文字で、『超訳ニーチェの言葉』とあるではないですか!
「よっしゃぁ!」
と、迷うことなく購入しました。
という経緯で、遅ればせながらこの歳で!ニーチェを読むこととなったのです。
今日は昼前からバンクーバー・オリンピックの開会式を観て、
そのパフォーマンスと映像美の感動も冷めやらぬまま、
おもむろに黒い表紙を手に取り、午後から読み始めました。
細かく体系化され、難しい用語がちりばめられたような哲学書とは違い、
これは、1ページ読み切りで大変読みやすく、あっという間に読めてしまいました。
読み始めてからまもなく、この感動を誰かに伝えたいと思い、すぐに思いついたのが、この出版社であるディスカヴァーの干場社長さんにツイッターで、つぶやきメッセージを送りました。
それでご本人からいただいた返事が、コレです。
さて、本書183ページ目にこんな言葉があります。
読むべき書物
わたしたちが読むべき本とは、次のようなものだ。
読む前と読んだ後では世界がまったくちがって見えるような本。
わたしたちをこの世の彼方へと連れさってくれる本。
読んだことでわたしたちの心が洗われたことに気づかせるような本。
新しい知恵と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。
読み終わった感想は、まったくこの言葉の通りでした。
現代人に大変わかりやすく翻訳してくださった白取春彦氏にも感謝しますが、やはり、哲人ニーチェってスゴイ!ってつくづく感じ入りました。
彼自身、人生を歩んでいく中で、一生懸命悩み、考え、そして思考を整理しながらアウトプットしていったんだなぁ!と。
さらに197ページにはこんな言葉があります。
自分の哲学を持つな
「哲学を持つ」と一般的に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。しかしそれは、自分を画一化するようなものだ。
そんな哲学を持つよりも、そのつどの人生が語りかけてくるささやかな声に耳を傾ける方がましだ。そのほうが物事や生活の本質がよく見えてくるからだ。
それこそ、哲学するということにほかならない。
「自分の哲学を持つな」というタイトルを見たときは、さすがに「え?」と思いましたが、こんな短い文章でも、やはり深かったです。
「哲学する」ことの本質を学び取ることができました。
私自身に足りないと思っていた「人生哲学」の真髄も、まさにこのことを言いたかったのです。
あと一つだけ、とっても気に入った言葉を本書から引用します。
四つの徳を持て
自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
敵に対しては勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。
その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
この言葉は、今度田舎に帰ったとき、小中学生の子供たちにも伝えてやれるなぁと思っています。
国と人種と宗教を超えた平和の祭典、オリンピックの開会式を観て、ニーチェと初めて出会った、大変素晴らしい大晦日(陰暦)でした。
「哲学を持つ」と一般的に言う場合、ある固まった態度や見解を持つことを意味している。しかしそれは、自分を画一化するようなものだ。
ここのところがとても響きました。
今やっていることの再確認させるためにも、もう一度リセットしてみようと思います。
sunさんへ
「哲学する」という意味、結構深い内容があったんですね。
「哲学する」とは、
そのつど語りかけてくる内なる声、つまり良心というコンパスに耳を傾け、その本質を見極めるということなんでしょうね。
この本は、本当に良い刺激になりました。