昨日までの二日間のポカポカ日和から一転して、今日は朝から冷たい雨の東京。
それにしても一昨日と昨夜のお月さまはすごかったですね。
なにしろ、過去18年間でお月さまが最も地球に接近するスーパーフルムーンでしたから!
それまでTwitterやfacebookには、震災関連の情報ばかり流れていましたが、この二日間はお月さまが綺麗だという話題やフォトがたくさん流れ、しばし夜空を見上げる心の余裕ができたひとときでした。
私もiPhoneから何回か撮影を試みたものの、なかなか上手くは撮れませんでした。
やはり直接自分の目で見て焼き付けるのが一番ですね。
いつもより14%大きく見え、30%明るく光っていたのだそうです。
さて、今回の震災、東京を中心とする首都圏は、東北地方のように、地震や津波、火災などによる甚大な被害は出ていませんが、精神的ダメージはけっこう大きいようです。
未だに続く余震や、良くも悪くも繰り返し伝えられる衝撃的なニュース映像、余談ならない原発の情報、あるいは計画停電や節電、通勤電車の間引き運転、さらにはガソリンやお米、トイレットペーパーなどの買いだめによって続く生活必需品の品薄状態などなど、首都圏にいる人たちのストレスと疲れはけっこう積み重なっているように思えます。
私自身も、我知らず、いつも体のどこかが緊張し、睡眠不足気味なのは事実です。
あの長くて大きい揺れと大地や建物がきしむ音を体験してしまったら、余震が続く夜はぐっすり眠れないのも無理はないですね。
3月11日以来、枕元には非常用リュックと服を用意し、いつ大きな地震が来ても、「いざ」というときには、すぐに逃げ出せるようにしています。
精神的に被災している人たちは、少なからずも首都圏に限らずたくさんいると思います。
ここで、ちょっと飛躍しますが、「いざ」という言葉でふと思い出したフレーズがあります。
「いまというときが、いざというとき」
奈良本辰也訳編『葉隠』を読んだときに出会ったフレーズです。
まさに現在の一瞬に徹する以外にはない。一瞬、一瞬と積み重ねて一生となるのだ。ここに考えがおよべば、あれこれとうろたえることもなければ、探し回ることもない。この一瞬を大切にして暮らすまでのことだ。一般の人は、ここのところを間違って、別に人生があるように思い、それを尋ね回って、この点に気づく者がない。この一瞬をいつも大切にして怠ることがないようになるには、年功を積まなければならないものである。しかしながら、一度その境地にたどりつけば、いつもそのように思いつめていなくとも、その境地をはなれることはない。
この一瞬にすべてがあるということを十分に心得たならば、物事は簡単に運ぶものだ。この一瞬に忠節の心が備わっているものである。
いまというときが、いざというときである。いざというときは、いまである。
そのいまと、いざというときとを二つに分けて考えているから、いざというときに間に合わない。
<中略>
公の場所と寝所、戦場と畳の上、それをまったく別々に考えていて、いざというときになって急に立ち上がるものだから役に立たぬのだ。いつ、どのようなことが起こるかもしれない。畳の上にいても武勇の働きができるものでなくては、戦場へも送り出すことができぬ。
今回ほど、「現在(いま)」をどう生きるか?
ということを考えさせられたことはなかったかもしれません。
つまり、何の覚悟も用意もないところに、突然発生した東北関東大震災。
その爪跡は、後世まで語り継がれるほど深いものとなってしまいました。
というか、まだまだその被害状況が日々明らかになっている段階で、いまだ現在進行形。
特に、福島第一原発の事故は、まだまだその情報から目が話せない状況。
緊張する「現在(いま)」の連続です。
松下幸之助氏が残した言葉に
という名言があります。
これはまさしくその通りで、
さらに、この言葉の行間を読むと、
「過去」を教訓として、「未来」を見据えながら、「現在(いま)」を生きるということです。
これが時間の基本的な考え方であり、成長の極意だと思います。
今回の震災では、
被災して避難生活を送る人たちや、原発事故でこれ以上被害を出さないように決死の覚悟で頑張っている人たちが、いま目の前にある状況と向かい合いながら一瞬一瞬一生懸命生きています。
特に放射能汚染と闘いながら、現場に臨んでいる人たちは、決死の覚悟です。
引用文中に、「一瞬、一瞬をを積み重ねて一生となるのだ」とありますが、被災した、していないにかかわらず、私たちの人生において、その一瞬一瞬が「いざというとき」です。
今、目の前にある出来事に向かい合いながら、最善を尽くす。
今、目の前にある環境と向かい合いながら、臨機応変に順応していく。
今、目の前にいる人と向かい合いながら、愛と誠を尽くす。
言葉で言うことは簡単ですが、
ここには自分の軸がなければなりません。
ちょうど去年の今ごろ、
「誠実という言葉と私の軸」という内容を投稿しましたが、まさにぶれない軸(=自分自身と人に対して、誠実であること)をもつことで、出来事や環境、そして人と、向き合っていくことができます。
今回は本当に色々考えさせられています。
このような非常事態では、人間の本性や弱い部分が出てくるものです。
逆に言うと、成長していくための良いチャンス。
何かの出来事や環境などと直面したときの自分を冷静に見つめながら、
「いまというときが、いざというとき」
この言葉を胸に、一瞬一瞬を丁寧に生きていきたいなと思った次第です。
今回も最後まで読んでくださり、有り難き幸せでした。
正に同じようなことを考え、感じていたので、驚きです。
「今に居ること」、「今の瞬間にあること」。
この日本の状況は、このことを生かすチャンスなのですよね。
そして、この様なときその人なりの性質、個性がデフォルメされてきますね、これは自分を見つめるチャンスなのかもしれません。
人それぞれが今違った立場で、その今を生きていますが、静かなゆったりした呼吸をしつつ、「いまというときが、いざというとき」を充分に生きられることを願っています。
さなさんの、みなさん(私も含めて)の、「今、ここ」がワンネスの中で柔軟性に満ち、暖かなエネルギーで満ちていますように・・・。
美夏さん、オーストリーからの応援、いつも有り難く思っております。
今回の震災では、TwitterやfacebookなどのSNSを通じて、世界中がつながっているっていうのを実感しました。
時間や空間に対する考え方が随分変わってきた気がします。
「今、ここ」が個と全体を融合させ、時間と空間を超越させますね。
この震災はとてもマイナス的要素で満ちていますが、それをプラスに転換していくことで、人類は大きく進化していくはずです。
日本や世界、そして一人ひとりが新しく生まれ変わるチャンスだと思っています。
温かいエネルギーで満ちた人々、社会、国家、世界に進化していきますように・・・!
今回の地震は、究極の選択に否応なく迫られる事が自分にも起こりうることを実感させられました。選択に迫られた時『人間の本性や弱い部分が出てくる』ことがよくわかり、だからこそ、さなさんが言うように、『成長していくための良いチャンス』であるということに同意します。
次の『いざというとき』に今回の体験を活かして、どう行動するかシュミレーションしておくことが、ぶれない軸を作ることのように感じました。
幸いにして、あの時を生きながらえた私たちには、ぶれない軸を持つことのチャンスが与えられたとも思います。
今回のブログで考えさせられました。
いのパパさん、おはようございます。
コメント、ありがとうございます。
今回の地震で、人生観や、価値観が大きく変わった人、少なからずいると思います。
特に感受性の強い子どもたちの心はケアが必要でしょうね。
それと同時に、こういう時にどう行動するか?どう考えるか?をシミュレーションしたり、訓練しておくことはとても重要ですね。
>『いざというとき』に今回の体験を活かして、どう行動するかシュミレーションしておくことが、ぶれない軸を作ること
まさにいのパパさんがおっしゃっている通りだと思います。
国難ともいわれる今回の一連の出来事は、たくさんのことを深く深く考えさせられます。
まさに、ぶれない軸を形成していくチャンスですね。