一日では朝、
一週間では日曜か月曜の朝、
一ヶ月では一日、
一年では元旦、
今日から2月。
ちょっと身が引き締まる思いです。
東京なども寒い日が続いていますが、梅の便りを聞いたり、木々に小さなつぼみを見つけると、確実に春が近づいていることを知ることができます。
さて、今回は、一つの詩を紹介したいと思います。
有名なので、どこかで聞いたことがある方も多いと思います。
作者は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人、金子みすゞさん。
この詩は、NHKのみんなのうたでも歌われ、何回聴いても心に響いてきます。
レストランの店長時代、パートも含めて35人ほどの人たちを束ねておりましたが、この時も、「個性」というものとたくさん向き合いました。
組織やコミュニティにおいて、土台となる風土や軸となる理念はとても大事です。
これを提示していくのはリーダーの資質に負うところが大きいです。
また、ある程度のマニュアルに沿った社員教育は必要です。
でも、その枠には収まらない人は必ずいます。
例えば、西に向かうバスに、東に行きたい人が乗ると問題があるように、最初から目的地が違う人をそのバスに乗せることはできません。
しかし人生とは奇なるもので、間違ってのってしまったバスで、新しい目的地を見つけたり、より素晴らしい価値観や人生哲学を身につけたりすることもあります。
その時、その場に居合わせること、それが「人生の綾」というものであり、「何かの縁」というものです。
実は、そういう枠に収まらない人が、その組織やコミュニティに新しい風を吹き込んでくれることもあるし、全く新しい文化を創造してくれることがあります。
その組織にとっての活性化は、その中に埋没している個性ではなかなか起こしえないということは、どうやらあるようです。
家庭や学校、職場、あらゆる組織で言えることですが、排他的になってしまうと、どうしても組織というものは疲弊していきがちです。
ここで、昨日読んだ本『心にズドン!と響く「運命」の言葉』に良いお話が載っていたので引用します。
これも金子みすゞさんの詩が元になっています。
ある幼稚園の入園式で、こんな素敵な挨拶をした人がいました。
その人は何本かセットになっているマジックと色つきセロファン、懐中電灯を紙袋から出すと、子どもたちに向かってこんな話を始めました。
「このマジックは何色かな?」
「あか〜!」
「じゃあ次。これは何色?」
「あお〜!」
「みんな、よく知ってるね。じゃあ、赤と青色を混ぜたら何色になるかな?」
「……」
「調べてみようか?」
ここでセロファン登場。赤と青のセロファンを重ねて懐中電灯で照らします。
「あっ、むらさき!!!!」
「そう。赤、青だけだと一色なんだけど、2色合わさると別の色に変わるのね」
そして、その人はマジックを箱にしまい、ニコニコしながらこう言いました。
「見て。この箱、なんて書いてあるかな?」
「○○ようちえん!!!!」
「そうね。よくできました!実は、この箱はね、この幼稚園、マジック一本一本はここにいるみんなを表しているの。一人ひとりいろいろな色を持っている。それもステキ。でも、その色が合わさると、さらに別の新しい色ができるのよ。みんなで仲よく楽しく、幼稚園で遊んでくださいね」
僕たちは神様のステキなステキなマジックペン。
みんな違って、みんないい。
みんなが違うのは、みんなで新しい色をこの宇宙に生み出すため。
人と人が出会うたびに、新しい色がこの宇宙に誕生しているのです。
さて、僕とあなたで、何色になるのでしょうか?
個性と個性が出会うと、分子同士が化学反応を起こすように、全く新しい何かを生み出すことがあります。
人との出会いは、どんなに似たもの同士でも、少なからずも刺激を与えくれるし、人生に深みを帯びさせてくれます。
みんな違って、みんないい。
職場や学校、家庭で、こう考えながら人と接してみると、いつの間にか自分の目が優しい目になっていることに気付くかも知れません。
『みんな違って、みんないい。』みんな違って当たり前、頭ではわかっているんですが、意識はあまりされていないでしょうね。 いざ何かが起こった時、そんなことも原因のひとつにあるかもって考えられる個人の度量の大きさ,組織の懐の深さがあれば、多くの難題も解決が出来そうな気がします。
人の数だけ個性があって、価値観も違うということを大前提に人間関係を考えていくって大事なことですよね。
そういう土台の上で、家庭、国家、世界を見ていくと、身近な小さい争いごとから、宗教戦争までも、解決の道が見えてくるかもしれません。
自然界の絶妙な生態系を観察してみても、「みんな違って、みんないい」ってつくづく思います。
yuhkoto先生、今回もコメントありがとうございました。