受容と成長:心の扇を広げる

11月も月末を迎え、いよいよ朝晩冷え込んできましたね。
我が家の裏山にある小さな神社の紅葉も進み、落ち葉とどんぐりがたくさん。

落ち葉と言えば、我が故郷、南国徳島でも朝夕のたき火が嬉しい季節になってきました。
そこらから枯れ葉や小枝を集めてきて、濡れ新聞とアルミホイルで包んだサツマイモを入れておくと、30分ほどでほくほくの焼き芋ができあがります。

たき火で表面から、焼き芋で内側から温まる!
うーん、この季節の最高の贅沢ですね。

さて、今日のお題は、「受容と成長:心の扇を広げる」

私自身が見ている世界は、私自身を通して創り上げられています。
同じ事象を見ても、人と私とでは別のものを見ているかも知れません。

自分の人生のプロデューサーは「私」であり、主人公も「私」です。

主体性を発揮する:サナギの基本フロー」でもお話ししましたが、下記の言葉の主語はすべて「私」です。

私自身を知ること   【自覚】s:self-awareness
私自身を受け入れること【受容】a:acceptance
私自身を変えること  【習慣】n:new habits
私自身を動かすこと  【実行】a:action
私自身を生かすこと  【成長】g:growth
私自身を解き放つこと 【自立】i:independence

つまり、私自身の見方や価値観が明確になり、さらに変化することによって、見えてくる世界や人間関係が変わってきます。
早い話が、すべては心のもちようなのです。

以下、このブログで何回か取り上げてきた、中村天風著『運命を拓く』より。

所詮、人生は心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則である。自然の法則は、まことに峻厳犯すべからず。

 

人の心って、無限に小さくもなれば、無限に大きくもなれます。
よく、「あの人は器の大きな人だ」とか、「器の小っちゃいやつだなー」なんて表現を使いますが、この「器」はまさに「心」のことを言っています。

別の書籍、小林正観著『100%幸せな1%の人々』からおもしろい箇所を引用してみます。

「私」の心の広さを仮に「扇」にたとえます。その扇の広さが90度の平均的寛容度だと思ってください。そして、その90度の外側に、自分にとっては許せない、あるいは我慢できない人が存在するとしましょう。

その外側にいる人を、自分の90度の枠内に連れてこようとします。その人が自分の価値観や許容範囲の中に入ってきてくれれば何の問題もないのですが、そうそう簡単には入ってきてくれません。そこで悩み、苦しみ、ストレスを感じるわけです。

もし、自分の90度の許容度、寛容度を広げることができ、相手を受け入れることができたならば、そこで問題は消滅します。イライラも腹立ちもなく、相手を受け入れたのですから、相手が自分の許容範囲に入っているということになります。

仮に許容範囲が120度になったとき、130度目のところに、また人が現れたとします。その人を「私」自身が認め、受け入れてしまえば、「私」の心の領域が広がり、またイライラがなくなります。

結局、その人を受け入れること、「そういう価値観の人もたしかにいるよね」というふうに、「私」の心の許容範囲を広げたことで、ラクになるのは向こうではありません。「私」自身がラクになるのです。

 

このように考えていくと、目の前にいる人で私の扇の外にいる人は、私の「心を広げてくれる人」ということになり、感謝の対象になるのかもしれません。

さまざまな人と会い、コミュニケーションをとっていくことによって、120度が150度になり、やがて綺麗な180度の扇になっていくのです。

もっといくと360度の円、さらには全方向の球体になる可能性だってあります。
ここまでいくと「神」と呼んでもいいかもしれませんね。

人の成長は、身体的なものだけではなく、心の成長が重要です。
扇がどんどん広がれば広がるほど、心は成長していきます。
そして、何よりも自分自身が辛さが減り、いちいち腹を立てなくてすむようになります。

人それぞれ、さまざまな価値観をもって生きています。
一つの価値観で縛ることなどできないし、人に自分の価値観を押しつけることもできません。

人間社会は、いわば、海のようなものです。
大きなクジラもいれば、ギャングのようなサメもいます。深海魚もいるし、立って泳ぐ太刀魚や泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロなどの回遊魚もいます。

これがもし1種類の魚類しかいなかったらどんなにつまらないことでしょう。

お味噌汁だってそうです。
ワカメやネギ、タマネギや豆腐がそれぞれ自己主張しながら入っているからおいしいのです。
もしそれをミキサーで混ぜて出されたら興ざめしますよね。

人間社会、さまざまな人がいるからおもしろいし、そのさまざまな人によって私の器が広げられているのです。

そう考えると、今の自分を取り巻く人間関係の見方が変わってきませんか?
また、新しい出会いや新しい事への挑戦が楽しくなってきませんか?

最後に、お釈迦様の言葉を引用してみます。

すべてがあなたにちょうどいい。
今のあなたに今の夫がちょうどいい。
今のあなたに今の妻がちょうどいい。
今のあなたに今の子どもがちょうどいい。
今のあなたに今の親がちょうどいい。
今のあなたに今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに今の友人がちょうどいい。
今のあなたに今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。
すべてがあなたにちょうどいい。

100%幸せな1%の人々』より

 

今現在が「ちょうどいい」と考えると、今ある人間関係や環境が受け入れられるようになってきます。
受け入れる=受容することによって、次の新しいステップへ進むことができるのです。

繰り返しますが、
人生は心一つの置きどころ

やっぱりこれに尽きるんですよね。

さて、朝のたき火をしてこようかな。


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