私は1966年、四国の小さな町に生を受けました。
両親と先祖には、産んでくれたことを心から感謝しています。
でも、当然のことですが、自分の出生に関しては誰にも頼んだ覚えはありません。
自分が望む望まないにかかわらず生まれてきたということです。
大河ドラマとはよく言ったもので、大河のように連綿と続く歴史の流れの中から、ひと雫の結実としてひょこっと現れたのが「私」です。
雨粒として天から降ってきて、
急流や滝を下ったり、
大きな岩にぶつかって砕けたり、
はたまた、ゆったりと大きく時を重ねながら、
そして最後には大海に流れ着く。
「私の誕生」という事実は、人目に触れようが触れまいが、それが幸福な誕生であろうがあるまいが、どんなに頑張ってもこの歴史上から消し去ることはできません。
昔よくテレビドラマで、
反抗期の子供が親に向かって、
「自分は好きこのんで生まれてきたんじゃないっ!」とか、
「誰も産んでなんて頼んでない!」なんていうセリフを聞いたことがあります。
ある意味その通りです。
そもそも、頼めません。
子供だけでなく、親も、親の親も、そのまた親も・・・。
上松健治著『今なぜソクラテスか』の一節にこんな言葉があります。
引用文中のルソーの言葉に、
人間は二度生まれる。
一度はこの世に生を受けて。
もう一度は人間となるために。
という一節があります。
サナギのコンセプトは正にここにあります。
この世に生まれた「私」は、
置かれている環境の中でさまざまな出会いや気付きを経て、
まったく「新しい私」を私自身でプロデュースすることができる、
ということです。
そのためには、「こうありたいと願う自分」の姿を明確にする必要があります。
そこが明確になったら、古い習慣を捨て去り、新しい目標に向かって新しい習慣を身につけていくようになります。
地を這い回りながら草をむしゃむしゃかじってたイモムシが、
サナギという期間を経て、
大空を飛び、花の蜜を吸うチョウになるのですから、
それはそれは大革命です。
将来こうありたいという自分の姿を見つけ出し、そういう自分に生み変えていくことができるのは、親でも先生でも他の誰でもない、自分自身なんですよね。
自分の人生の主人公は「自分」だということですね。
81歳になる、あのハマコーさんもこうつぶやいていました。
「人生自分が主人公!!なう!!」と。
また、
大河ドラマ「龍馬伝」では、龍馬の父親、八平が龍馬に向かってこう言っていました。
「この世に生まれたからには、己の命を使い切らんといかん。使い切って生涯を終えんといかん」と。
人間、泣きながら生まれてきたんだから、命を使い切って、最後は笑顔で生涯を終えたいですよね。
あぁなんか二度生まれるって言うの分かる気がするなぁ!
今思えば 私は自分が生まれた環境を受け入れるまで時間がかかったように思います。小さな気付きの積み重ねでいつの間にか 人生の楽しみ方が身についたように思います。
まだサナギさんの言うような「こうありたいと願う自分」像は明確ではないけど、
これからも 人生楽しみながら学んでいくことが楽しみです♪
創造性を持った人間は、自分で自分を「創造」できるんだぁ!
ということなんですね。
豊かな人生を創造していきたいもんです!(^^)v
masaeさんの「人生の楽しみ方が身についた」っていう感覚、素敵です。私はまだまだです。「こうありたい自分像」もはっきりしないし・・・ 一生懸命、こころの栄養をムシャムシャ食べているイモムシっていうところです。
昨夜、「今がすべて」という頚椎損傷の方の書の作品集+自叙伝の本を読みました。突然の事故から車椅子生活になって、10年間精神的に引きこもり状態になった作者が、いろんな出会いや不断の努力で生まれかわっていかれた様子は「二度生まれる」の内容にピッタリでした。
「こうありたい自分」って、案外、ボヤーッとしていたり、見えなかったりするんですよね。
サナギになる前、つまりイモムシだった頃、自分の周辺の葉っぱを食べることが最高の人生だと思っていました。
特に「チョウになりたい」とか「カブトムシになりたい」なんて思ったこともありませんでした。
でも、子どもに「将来の夢は何?」って訊いたときに、「ありゃ、自分自身の夢って何だろう」「今の自分はどうなんだ」って、探し始めたのです。
その夢探しの課程で、自覚し、感謝するというところを経ながらだんだん「夢」とか「こうありたい自分」というものが浮かび上がってきたのを覚えています。
人生、人の数だけ価値観があるので、こうじゃなきゃダメ!というのはないんですよね。
自然体+αくらいが人の成長にはちょうど良いのかもしれません。
焦らず!で良いのではないかと。。
ところで、ケイさんのおっしゃる『今がすべて』とはこれのことですね。
読みたい書籍リストに入れておきます。(^^)v
ありがとうございます。
2度生まれるはすばらしい発想です。ただ、私はちょっと違うかも。
1度めは自分の意志で生まれてきます。親が自分を生むのは、自分が親に
働きかけたからだと思うのです。ただ、多くの人は自分で望んで、生まれ
たくてしょうがなくてようやっと生まれてきたのを忘れていると思います。
そこで、2度めの誕生です。自分がなぜそんなに生まれたかったのかという
今回の人生の天命に気づくのです。けれども、それも多くの人ができない
まま人生を閉じてしまいます。で、また生まれたがるわけですね、ハハ。
はぐれさん、おはようございます。
以前読んだ、飯田史彦著『生きがいの創造』という書籍におっしゃるような記述があったのを思い出しました。
「子どもは親を選んで生まれてきた」という記憶があると。
確かにそうなのかもしれません。
そしてその記憶自体を忘れてしまっているんでしょうね。
人生の天命に気づくときがまさに二度目の誕生ですね。
それが「自覚」ですよね。
できればイモムシのまま人生を終わりたくないですね。